紅葉と夕焼けに思う2015/10/12 20:15

季節は、本格的な秋になってきました。

八百屋の店頭では、スイカから、梨、ぶどう、そしていまは、りんご、柿が出始めて、梨では、最後の大御所のラフランスが登場してきました。

気温の差が生み出す、喉の渇き具合いによって、果物の果汁の多さも、季節によって変わってくるのは、まさに自然界の果物が動物に与えるご馳走かもしれません。

10月10日は、東京オリンピックが昔、開催された日ということで、その記念日が、祭日となっています。

北海道に住んでいた時は、この10日は、ストーブに火を入れる日として、季節の変わり目での儀式としておりました。
本日の天気予報でも、北海道は急激に冷え込んで来ると言ってました。
この日を境に北国では、もうストーブから離れることができなくなり、来年の6月10日にまで、長い冬を迎えます。

東京に引っ越してからは、この火入れ式の儀式がなくなってしまいましたので、10月10日近辺の連休を使って、夏のスーツも、夏のワイシャツも一通り、洗濯屋に出して、夏物と秋冬物に、衣替えを致します。

北海道と違って、東京の秋は、いつまでの、ダラダラと、暑い日を迎えたり、冬の様に寒い日を繰り返し過ごしながら、木の葉も、色づいてきて、段々と冬を迎えてきます。

春を告げる櫻の葉は、いち早く紅葉してきますが、サンゴジュや、イチョウの様な葉は、来るべき冬に対抗しようと、なかなか紅葉しないで頑張っています。

あんなに暑かった夏の日差しから、優しく一変した夕焼けを見て、
長く伸びた自分の影絵を追うと、季節の変わり目が、人間にも、一つの節を付けてくれるように感じます。

今年は、吉川英治の「新平家物語」全16巻を読み、その後、「宮本武蔵」8巻を読みました。

吉川英治の作品を通して、こんなに、日本語は語彙が豊富で、また日本語は、本当に美しいと感じました。

日本人であること、日本の感性など、日本人なら誰もが、共通に紅葉を愛でる事のできる感受性などを伝授するのは、異国人には大変むずかしいです。
季節の移り変わりなどがある国の方が、稀であり、寒暖の差が織りなす紅葉が綺麗な土地は更にありません。

国際化する過程で、吉川英治作品などを、日本の感性を表出する本を、どんどん英訳など、多くの他の国の言語に翻訳して、世界へ発信する必要性を感じました。

村上春樹が、いま一歩毎年、ノーベル賞をもらえない理由は、まさに、この感性であり、一部の外国人のマニアの人以外には、理解不能な
感性であり、まだ、季節を含む、もののあわれが、一般化されていないことに起因すると感じています。