さわやかな秋に2015/10/04 19:56

私の所属している異業種交流会の勉強会に、
「ONE for ALL、 ALL for ONE」とう、(一人が、みんなの為に、みんなは一人の為に」としいう、ラグビーのスローガンを掲げて、活動しているサークルがあります。

昨日のワールドカップの、日本対サモア戦は、日本がワールドカップで、2回勝ったのは、初めてであったとのことで、ラグビーファンは、いままでの悔しさがやっと晴れた感じを受けたと思います。

ラグビーには、魔法の水と言って、単にヤカンに水道水を入れた水があります。
体当たりを食らったりした時など、脳震とうを起こした時に、頭にヤカンに入れた水をかけると、不思議と回復したり、打撲しても、その水をかけると、競技中は不思議と奇跡的に立ち直ることができます。

もっとも、10年殺しと言って、競技を辞めてから、腰痛を起こす人や、足が不自由になる人などがいて、後遺症が残るスポーツとも言われおります。

高校時代、柔道部に所属しておりましたが、野球やバレーボールなど、玉を介して、戦う競技と違って、直接相手の力を受けるスポーツは、ものすごい消耗を強いられます。

ラグビーをやっている人を横目で見て、部活を行っておりましたが、柔道部から見ても、肉弾戦そのものと言える苛酷さが伝わってきました。

昨日のサモア戦を見ると、日本人選手はほどんど、まともな人がいない状態でノーサイドを迎えました。

勝った感動もひとしおですが、競技場にヤカンが見当たりませんでしたので、ここは、日本の魔法の水のヤカンを持ちだして、奇跡的復活で、次の戦いに望んでもらいたいと思いました。

紅葉と夕焼けに思う2015/10/12 20:15

季節は、本格的な秋になってきました。

八百屋の店頭では、スイカから、梨、ぶどう、そしていまは、りんご、柿が出始めて、梨では、最後の大御所のラフランスが登場してきました。

気温の差が生み出す、喉の渇き具合いによって、果物の果汁の多さも、季節によって変わってくるのは、まさに自然界の果物が動物に与えるご馳走かもしれません。

10月10日は、東京オリンピックが昔、開催された日ということで、その記念日が、祭日となっています。

北海道に住んでいた時は、この10日は、ストーブに火を入れる日として、季節の変わり目での儀式としておりました。
本日の天気予報でも、北海道は急激に冷え込んで来ると言ってました。
この日を境に北国では、もうストーブから離れることができなくなり、来年の6月10日にまで、長い冬を迎えます。

東京に引っ越してからは、この火入れ式の儀式がなくなってしまいましたので、10月10日近辺の連休を使って、夏のスーツも、夏のワイシャツも一通り、洗濯屋に出して、夏物と秋冬物に、衣替えを致します。

北海道と違って、東京の秋は、いつまでの、ダラダラと、暑い日を迎えたり、冬の様に寒い日を繰り返し過ごしながら、木の葉も、色づいてきて、段々と冬を迎えてきます。

春を告げる櫻の葉は、いち早く紅葉してきますが、サンゴジュや、イチョウの様な葉は、来るべき冬に対抗しようと、なかなか紅葉しないで頑張っています。

あんなに暑かった夏の日差しから、優しく一変した夕焼けを見て、
長く伸びた自分の影絵を追うと、季節の変わり目が、人間にも、一つの節を付けてくれるように感じます。

今年は、吉川英治の「新平家物語」全16巻を読み、その後、「宮本武蔵」8巻を読みました。

吉川英治の作品を通して、こんなに、日本語は語彙が豊富で、また日本語は、本当に美しいと感じました。

日本人であること、日本の感性など、日本人なら誰もが、共通に紅葉を愛でる事のできる感受性などを伝授するのは、異国人には大変むずかしいです。
季節の移り変わりなどがある国の方が、稀であり、寒暖の差が織りなす紅葉が綺麗な土地は更にありません。

国際化する過程で、吉川英治作品などを、日本の感性を表出する本を、どんどん英訳など、多くの他の国の言語に翻訳して、世界へ発信する必要性を感じました。

村上春樹が、いま一歩毎年、ノーベル賞をもらえない理由は、まさに、この感性であり、一部の外国人のマニアの人以外には、理解不能な
感性であり、まだ、季節を含む、もののあわれが、一般化されていないことに起因すると感じています。

栄枯盛衰2015/10/18 16:15

勉強会の会合があり、久し振りに神田で飲みました。

今年の1月末に、会社が、神田の近くの室町から東銀座に移転して,
とんと、神田界隈で呑むことができなく、足が遠くなっていました。

神田は、庶民の街で、風俗も飲み屋もパチンコ屋もあり、サラリーマン相手の手頃な値段の食堂があり、それらが混沌と入り混じって、
隠微で、猥雑化したなんとも言えない親しみやすさと安心感、誰もを厭わずに包んでくれる,,喧騒さを兼ね備えた独特の町を作っています。

上野駅の周辺の町並みのように、さらに猥雑と喧騒さが増した、不安定で落ち着かない街ではなく、
一方、新橋の駅前の様に、ちょっと見、綺麗で、親しみがあり、喧騒さがそれほど無いように感じますが、全く、安心感の無い町と違って、お江戸日本橋の古い伝統を引き継いだ神田は、粋を感じる町であります。

さて、1次会が終わったあとで、2次会に流れたので、いつも通っていたお店に仲間を連れて行こうとしたら、そのお店は、今年、会社が移転後に潰れていました。
(写真の店舗は、私の贔屓の店とは全然関係はありません。)

この店は、この界隈では、唯一、黒ビールの生を提供していたし、なんといっても、雰囲気、コストパフォーマンスが良くて、懐に優しかったので、とても残念でした。

昔、友人の銀行屋に聞いた処、飲み屋や食べ物屋で7年以上持つ店は稀だということで、あらためて、飲み屋の競争の激しさを感じました。

卑近な例で言えば、世界の「マク○ナルド」も、一世を風靡した「○民」も、日本での市場は舵取りが厳しく、決算状況を聴くにつれ、栄華を持続する難しさを感じております。

常に変化して、市場の要求を捕まえないと、時代に取り残されて、いってしまいます。

「マク○ナルド」の場合は、戦後アメリカに憧れた世代が交代し、若い世代になったら、若い人は、アメリカに実際に訪米していて、本場の「マク○ナルド」のハンバーガーを食べていますので、アメリカのハンバーガーのパンの味と、まともなビーフのパテで作った味を知っています。

日本で提供されている「マク○ナルド」のハンバーガーは、パンも不味く、何より成長ホルモン漬けの餌で成長した牛肉のパテの味の貧しさに、訪米経験者など、その嘘の味の食材を提供されることが、耐えられなくて、見向きもされておりません。

あこがれを脱出した若い顧客の嗜好は、本物味を希求する気持ちに変化しているのですが、あの会社は、いつまでも安い路線を変更しようとせず、いつまでたっても、安く提供すれば売れるという、後進国の植民地戦略から脱せないでいます。

一方、「○民」は、一世を風靡した成功体験が尾を引いて、変化に対応できなかった居酒屋です。

この「○民」を一番利用していた世代は、いまの団塊の世代ですが、小遣いも少ない中で、企業戦士のささやかな憩いの場を、安価な単価で居酒屋を提供してくれたのです。

しかし、団塊の世代で定年退職する人が出始めた頃から、次の世代は、このチープでおじさん臭い、店の雰囲気を嫌って、よりつかなくなりました。

この会社は、慌てて、「挫○民」という、一つ高級路線の店を展開するのですが、定年退職を迎えたり、定年年齢を超えた人たちは、いままでお金の余裕がなくて行くことができなかった、憧れの店に、多少高くても、落ち着いた雰囲気を、質の高い、お酒や料理を、歳相応に少量で良いので、提供してくれる店に流れるようになりました。

「○民」は、若い人に人気がなく、「挫○民」は、中途半端な店として利用する世代が不明で、企業業績は低迷に低迷を続けています。

2つの企業の例を採るまでもなく、企業の存続は、以前在籍していた会社の社訓を引用すれば、下記3点を掲載していました。

1.社業の発展を欲せば先ず信用の昂揚に努められたし
1.(工事施工に当たりては親切を旨とし)得意先の不安の除去に努められたし
1.相互に共存共栄を基とし一致協力して業を励み成績向上に努められたし

しかし、この観点だけでは、現在では、本質を付いているといえ、真面目な会社、愚直な会社というだけで、欠落するものがあります。
それは情報戦略であリます。

時代の流れ、嗜好を捉える、鋭敏な感性、顧客の気持ちに応える気持ちがなければ、企業は硬直化した化石をなってしまい、生き残れない時代であると感じます。

企業の舵取りは、情報が誰にでも入るだけに、大変難しい時代を向けております。

巨人は虚人?2015/10/26 17:48

今日は、人間ドック休暇で、午後2時過ぎから自宅でゴロゴロ休養しておりました。
私の勤めている会社では、年1回のこの検診が義務付けられており、毎年この時期に、検査を行って、一喜一憂しております。

検査をしてなにもないのが何よりですが、生を受けたこの体も、齢60を超えてしまった身には、どこかかしこで、ガタが来るようで、検査結果を見る度に、自分を律しようと致します。

さて、球界の盟主と謳われていた読売巨人も、原監督から、高橋由伸選手に、監督を譲り、巨人を律し、再生を図ろうとしております。

アンクルエルビスさんのブログでは、原監督が苦虫を潰したように、采配していたコメントが記載されておりましたが、彼の退陣のインタビューを見たら、あんな顔があったのかと思わせるほど、晴れやかで、嬉しそうな、開放感のある笑顔で、彼は彼なりに、重圧と戦っていたのかと思いました。

巨人は、球界の盟主、いつまでの栄光の座にあると錯覚しているフロントの存在が強すぎて、本来の改革ができない状態にあります。

今回も、若い高橋選手を監督に据えても、その往年の栄光に胡座を書いたフロントが、やれ巨人は常勝軍だとかいって、金にものを言わせて、補強をどんどんつぎ込んで監督采配を狂わせたり、現場に口を挟み込んで、監督を潰してしますのでは無いかと心配しております。

今では、これからようやく伸びていくであろう、高橋選手の将来を潰してしまうのでは無いかと感じております。

巨人の野球がつまらないのは、子どもたちや、カープ女子に如実に現れているように、楽天や、カープや、ロッテなど新鮮な活気のある球団にファンが集うようになったことでもわかります。

子供は、西武からロッテファンに、私に至っては、巨人から西武、そして最近では、とんと野球は見なくなってしまいました。

巨人と言えば、昔は、一軍に在籍する選手は、勉強界で例えるならば、皆、東大の教授に連なる人達であり。相撲界では、東の幕内力士は、すべて巨人の選手が占めるようなものであり、常に、期待と羨望と栄光を背負った人達でした。

12球団の中で、唯一「軍隊」の厳しさをもたされた球団でありますので、巨人だけは、読売巨人軍と称され、「軍」の冠がつくチームは、他の球団にはありませんです。

アメリカの軍隊では、海兵隊が一番、最強の軍隊として優秀ですが、昔の巨人軍は、戦争の弾を、野球のボールに変えただけの、最強軍隊でした。

金田が憧れ、張本が憧れ、中日の川相、広島の山本、太田幸司、清原、工藤、そして江川選手など、そうそうたるメンバーが、最後は巨人に在籍して戦かいたいと移籍してきた選手たちを見ると、いかにその憧れが、強かったかが、計られます。

このような巨人が、いまは、野球賭博で3人も、しかも、ピッチャーが捕まりました。
これは、根本から、その組織が瓦解していることの現れです。
昔の栄光などなく、巨人は虚人に成り下がったと思われます。

栄光にふんぞり返ったフロント、及び卒業された選手の意見や行動がが強すぎる球団、早く夢からさめて、既に張り子の虎になっている虚人を、明るい、親しみのある球団に戻してもらいたいものです。

高橋選手では、荷がおもすぎて、改革はおろか、強いフロントバックに振り回されて、来年も見る価値が無いなものか、彼の今後の選手生命を心配するばかりです。