既読?未読? 知らないことを知るのは面白い2024/03/17 08:06

さて今日、掲載の写真は、橋本治氏が編集された「ひらがな日本美術史」の、
1巻源氏物語の項に掲載されていた挿絵写真ですが、
この挿絵は、岩田専太郎氏が書いております。
岩田専太郎氏は、1901年生まれで、72歳の時に逝去されていますが、
橋本治氏の本を通して、昭和の挿絵の第一人者と知りました。

既読と未読という読書については、二つのアプローチがあります。
既読とは、すでに知った内容の本を読むことで、
未読とは、今まで経験したこともない内容の本を読むことです。
一般には、歳を取ると新しいことを受け入れるキャパシティがなくなりますので、
読書をするのを辞めてしまったり、知っていることや自分の価値観を補完する様な内容の本を読む傾向があります。

既読の読書方法を採っていると、別にエネルギーを使わなくても安易に本を読むことができ、また、自分の築き上げてきた考え方や知っている内容の再確認をしているだけですが、同じような考え方をしている人を知ることで、自分の考え方が正当化されますので、読書をすることは快感となります。

この傾向は、テレビ等のドラマや音楽についてもいえることで、
自分がすでに経験してきた範疇でしか、メディアを選択しなくなります。
この積み重ねが、
北原白秋の子供の唱歌「赤い鳥」に書いてある様に、
赤い鳥は、いつも赤い実を食べたので赤くなり、
青い鳥は、青い実を食べるので、青くなったいます。

人間も70余年もやっていますと、
今まで食べた、読書、メディアの総称で自分が作られておりますので
一朝一夕には新しいことに挑戦できる物ではありません。
このことが、60の手習いとか、歳を取ってからの挑戦がなかなか身につかない要因であります。

さて、NHKの大河ドラマで「光の君へ」という
平安時代、紫式部を取り上げている番組がありますが、
登場人物の動きが明確でなく、戦国物が好きな人には、地味な内容で在りますので、響いていないようですが、
NHKとしては、久し振りの大作で、毎週見るのがとても楽しみです。

この「光の君へ」は、私に取っては、ちょうど、既読と未読の中間に位置している
ドラマでありまして、さび付いた脳みそを快く刺激させてくれております。

藤原道長と紫式部が、懇ろな関係にあったかは
「紫式部日記」からしか推測ができませんが、
前回の放映(月夜の陰謀)では、紫式部と藤原道長が、恋愛感情をむき出しにして、NHKとしては珍しく、口づけのシーンも描写されております。

昔の言葉では、「会う」とか「見る」と言う言葉が
逢瀬を楽しみ同衾する言葉ですが、
和歌と漢文のやりとりの中に、この会う、見ると言う言葉が使われ、
男女間の情交や、交わりに至る過程で使われておりますが、
脚本家の大石静氏も、実際に紫式部と藤原道長が、一夜の契りを結んでしまっていたことも演出されて、
改めて、紫式部日記の真実が明らかにされたと思いました。

エロチックなオープニングの映像、
宮廷のセットはとんでもなく雅(みやび)で、衣装も鮮やかで
色とりどりの色彩に溢れ
1000年前にタイムトリップしたような映像が
日本の楽器、琵琶の素朴な音色で、心理描写をさらにはっきりと演出しており、
久し振りに、古びた頭に毎回、カンフル剤を打ち込まれている感じを受けます。

音楽、色彩、衣装などすべてわたり、日本の美は、秀逸で捨てた物でありません。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kinonkoya.asablo.jp/blog/2024/03/17/9668281/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。