模倣の話2010/10/03 20:59

漫画や、絵の模写の話をしていますが、音楽に付いては特に不思議な感じを持っています。

絵画や彫刻や、生業にしている建築については、模写したり、模倣をしても、扱うフィールドが、それぞれ違いますので、ある作者の作風を真似たとしても、自己表現や、芸術性が本物と瓜二つになることがありません。

絵画においては、キャンバスの素材、大きさ、扱う絵具の違いや、対象となる、模写物そのものを完全に同一にすることはまれで、完全に一致しているような場合はレプリカと呼んでいいますが、ある人が技法を盗んで作品を作成しても、模写された人の作品でなく、その人の作品として存在します。

建築は特に、その傾向が強くて、ある建築家の作風を気に入って、その手法を真似ても、扱う建築の周辺環境、建物の用途など違えば、ある建築家の作風を真似たとしても、設計者は、自分の建物として胸を張っていられますし、芸術家気取りしている人が多いです。

つきつめれば、扱う素材と、スケールが無限にあるので、その自由度は大変大きいために、許容される余地が大きいです。

さて、趣味で聞いたり、演奏したりする音楽について考察しますと、
作曲して、自作自演の曲を弾く行為と、もう一方で、ある作曲家の作品を演奏して、芸術性を出す二つの方向性があるのですが、
とくに後者の、ある作曲家の作品を演奏して、演奏家としての地位を確立することは容易でありません。

作曲された曲を演奏する場合、演奏する楽器が決められており、速さも拍子もすべて、事細かに決められている楽譜を演奏する場合、自己表現とか、芸術性のあり方を聴衆に見せるには、どのようにしたらよいか、それこそ、これから音楽家、プロの演奏者として存在していくには、七転八倒の苦しみがあるでしょう。

幸い、私のようなアマチュアは、模倣で十分楽しんで音楽を奏でているのですが、決められた楽譜の中で、他者と自分を分ける表現をどう、確立するかは、自分が楽器を演奏していても、いまだにわからないものです。

ギターの演奏スタイルでは、私の場合は、ジョンウィリアムスという、演奏家がいるのですが、その人の影響を受けて、スタイルを確立しているのですが、またその人のように演奏したいと願っていますが、、ピアニストとして、プロとして認められるには、ある1線を越えた先に、ホロビッツ風でない、アシュケナージ風でない、ユンデリ風でない、フジコヘミング風でない、自分風を出さなくてはいけません。

素材とスケールが自由に扱うことができる設計の世界でも、安藤忠雄風でない、コルビジェ風でない、フランクロイド風でない、槇文彦風でない、その人独自の作風を確立するのは難しいことですが、
音楽の演奏のようにルールが厳格で、枠組みの決められた楽譜の中で自己表現、演奏スタイルを確立する難しさを、ふと、芸術の秋に感じています。

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