次世代へのバトンタッチとは2010/11/14 20:51

NHKの朝の連続ドラマで
今年は、「げげげの女房」が大ヒットしました。

このドラマは、漫画家水木しげる氏を陰で支えた奥さんの半生を、
脚本家である窪田ミナさんは、
「目には見えない多くの力で、人は生かされている。
亡くなった人の思いや去って行った人との思い出など、それらすべてが生きる力になって人を支えている。」
というテーマで扱っていました。

私がこの番組を見るきっかけになった動機は、漫画家の世界と、自分たちの置かれている建築の世界、とくに、建築家としてデビューし、独立した人たちの生き方や、仕事を継続する苦労がまったく、同一であったことです。

漫画家と違って、建築家になるには、ゼネコンで設計に関与したり、設計事務所に勤務後に独立したり、建築家として名の通った人の弟子になってその後、独立したり、あるいは、大学に残りながら、設計をする方法などいろいろな生き方があります。

しかし、いったん建築設計をなりわいとして独立した場合は、このドラマで水木しげる氏を通して漫画家の世界を見せてもらいましたが、
まったく、日々の生活のありようは、同じ世界であることが分かりました。

きつい締め切りを乗り越える生活。
アシスタント時代を経て、新人賞を取って建築界にデビューする人の群像、また、新人賞を取ったのに、新人賞を取るだけで全精力を使い切ってしまって、引き続きアシスタントとして生きていく人など、建築の世界と一緒で生きようは様々です。

げげげの女房のこのドラマで、水木しげる氏が、自分のスタイルを貫いていたために、一時期 社会のニーズに答えることができなくて、
まったく仕事の来ない時代のことを描いていました。

その時、水木しげる氏は、アシスタントの首を切らずに、
必ず、自分を必要とする時代が来ると信じて、
「暇な時こそ、力を抜かずに、だれも編纂したことのない妖怪辞典を作ろうと!」
アシスタントに話して、水木プロを存続させました。

建築も漫画の世界も過酷で、デザインや絵は、社会に放出された瞬間から、獰猛な飢えた人たちによって食べつくされてしまいます。
次々に目新しい餌を与え続けることができるときはいいのですが、目新しさや、あっと驚くものができなくなった瞬間、世間人々のの飢えた気持ちが、持続しなくなり、その提供されるデザインも、漫画も悲しいことに
見向きもされなくなります。

世間は、それだけ新しいニーズに常に飢えており、
デザインや漫画は消費されていきます。

しかしながら、斬新なアイデアや作品を次々に生み出すことは不可能で、年をとって世代が交代するように、デザインも漫画も次の世代に
その生命をバトンタッチせざるをえなくなります。

技術者の世界では、技術は常に腐るのが常であり、次の時代に負けないで技術革新をしなくてはいけないのに、考え方がついていけなくなった状態です。

多くの漫画家や、建築家が、一時代を風靡した後で、
次の世代に創造の行為のリレーのバトンを渡します。

今年、水木しげる氏の漫画がふたたび脚光を浴びて、
本年文化功労章を受章されました。
いつまでも生きながらえる作品を生み出す力と、
情熱にしばし感銘されます。

晩秋の心地よさ2010/11/28 21:23

11月28日 今日は大変すがすがしい秋の一日でした。

北海道に11年も住んでいた経験から、本州の、こと 東京の、この晩秋の美しさの良さがわかります。

北海道とか、ヨーロッパなどは、英語の表現で、「フォーリング」という言葉があるように、夏の終わりから、木々の葉がバサバサと落ちて、徐々に色づく、紅葉を愛でる感じではありません。
北海道のイチョウなどは、雪が降った翌朝には、雪の重みで、昨日まで色づいていた葉も、雪と一緒に、まさに、どんと落ちる感じで、一夜で、丸坊主になってしまいます。

これが東京では、徐々に徐々に紅葉となり、だんだんと葉が落ちていき大変情緒があります。
桜の葉は、とくに紅葉が美しくて、イチョウのように一斉に同じように色づくのではなく、それぞれの葉が一枚一枚個性的に色づき始め、おなじ木のところについている葉がそれぞれが色づきが違うのです。

秋のはかない日差しと、その光に輝く紅葉をみると、本当に日本の秋は豊かであると感じます。