安藤忠雄展がすごい2017/11/05 20:55

11月3日の文化の日に、文化に触れようと、国立新美術館に行ってきました。

「安藤忠雄展」がすごいと、私の同期や建築仲間が、口々に話をし、何かにつけて話題になっていたので、ずっと気にしておりました。

愚妻は、てっきり、私の好きな画家、安野光雅展かと勘違いしておりましたが、素人にもそのすごさが伝わった様でした。

安藤忠雄氏の建築は、人それぞれに、好き嫌いが分かれるものです。

ある人は、建築雑誌に、私の親の「墓」を作ってもらったとか、冬寒く、夏はものすごく暑いとか、結露がすごいとか、批評をされていますが、
設計者本人も、彼の建築を住こなすのは、まさに戦いだと述べていますので、この批判も当たっておりますし、
ある人は、コンクリートとガラスだけで、シンプルさを追求して、グローバルであるけれど、和を感じると評して、絶賛の評価を与えたりしています。

私も、安藤氏と、毛綱氏の全く正反対の、建築家と一緒に仕事をしたことがありますので、その二人の方向性の違いについては、実際の体験で認識しております。

毛綱 毅曠氏と一緒に仕事をしたときに、
「人間はいろいろなことをやって行く人と、一つのことをずっとやっていく人の二つの方向があるが、結局死ぬときは、二つの方向を歩んでも、結局一つのことに収れんしていくのだが、安藤氏の場合は、ずっと一つのことでやっていくので、本当に苦しいぞ。それに反して、自分は、いつも自分の形がなくて、何でもやれるから楽しい。」と言っていたのが、思い出されました。

この展覧会を見たときに、最初から最後まで、これでもかと殴りつけられるような迫力に圧倒されて、打ちのめされて、会場を出てきました。

本日、掲載した原寸の模型(実際PC版で、本物そっくりの教会を再現)を始め、多くの模型、情念の塊のような、殴りつけたスケッチに触れると、日本の生んだ偉大な建築家、世界に渡り合えるには、この迫力かというものを、まざまざと見せつけられました。

採算度外視した、「安藤忠雄展 挑戦」という、1980円の分厚い写真集も思わず買っていました。
愚妻も、自分に続く後輩を育てたい思いで、この展覧会や本を、採算度外視でやったのではないかと言ってました。

本当に、久しぶりにすごい展覧会に巡り会うことができました。