パクリ2015/08/16 18:15

長い夏休みを過ごし、先週はお盆の週で、ぐったりとしておりました。

毎年1回は、なんとか海外に脱出して、外から日本を眺めたいと思っています。
今年も、なんとか海外にいくことができました。

異文化に触れると、日頃の縛られた発想に刺激が与えられて、脳細胞がリフレッシュします。

オリンピックのエンブレムのデザインを巡って、ベルギーのデザインを盗んだ話題がでており、ベルギーが裁判を提訴しました。

デザインする行為は、全くゼロからアイデアは生まれることはありませんので、身の回りをよく観察したり、異文化に触れることで、そのデザイン要素を盗んで、新しいデザインを生み出します。

(今回掲載のスケッチも、ひとつのデザインの盗用を発展させたものです。)

このため、今回の佐野氏の作成したエンブレムについては、盗用を発展した形であるので、許容範囲であると思っていました。

しかし、サントリーのトートバックのおまけで、デザインが完全にパクられ、露骨に盗用されると、オリンピックのエンブレルのデザインその物が、盗用から発展させたデザインではなく、盗用その物ではなかったのではないかと、疑念が持たれます。

オリンピックの今回の一連の騒動ですが、未来志向しすぎた国立競技場、レトロで、ダサすぎる日本選手団のユニフォーム、そして、盗用パクったエンブレムと、現在の日本の苦悩をストレートに反映している感じがします。

もっとも、古さと、最新、最先端技術、そしてパクリの共生は、なんでもゴッチャにして消化する日本のもっとも得意としている社会構造の表れではないかとも思い、寛容も日本の根源かもしれません。

基礎練習2015/08/23 22:03

ギター教室にかよって、一年が経った事をブログに記載いたしましたが、7月より、ギター教室を変わり、新しい先生に付きました。

以前習っていた先生は、口述伝承方法をとっており、一年間通ったのですが、楽譜を使わない方式だったので、どうしても進捗に不満がありました。

1回40分間のレッスンでも、口述の為、ひとつのフレーズを伝授してもらうに、とても時間がかかり、1ヶ月3回のレッスンを踏んでも、16小節も進まない事が多々あり、楽譜に記載してあれば、一つのフレーズで、ものの15分もあれば弾きこなすことができるのに、私の年齢で始まるには、この伝授方法では、残りの人生の中で、一通りの教程がとてもお終わらないと感じ、疑問が出始めました。

また、レッスンの内容も、こちらがまるきり知らないレベルでは良かったのですが、少し右も左もわかってくると、このレッスンではとてもやれないし、そう思うと、先生に対する不信感も乗じて、休会することにしました。

今度の先生は、偶然フラメンコのライブで知ることができ、演奏方法もフラメンコの粋を突き抜けておりましたので、電話連絡をしてようやく、レッスンをしてもらえることができるようになりました。

先生との相性も良く、こちらの疑問点も的確に答えてくれるし、何よりプロとしての自覚も、実践も積んでおられるので、私より30歳弱も若いとはいえ、やっと師に巡り会えた感じが致します。

非整数次倍音2015/08/30 20:14

ヨルタモリの話は、以前このブログにて記載をしましたが、YOUTUBEで、バックナンバーの視聴が可能であることを発見して、昔の放映番組を見ています。

今日は、21015年4月19日に放映された、ゲストが黒柳徹子さんの回を視聴いたしました。

健康法の薀蓄、動物と話すときの薀蓄など、様々に面白い話題が出ましたが、ソプラノ歌手を目指していた話から、声の通りやすい人と、声の通りにくい人の話が出ました。

タモリさんが言うには、黒柳徹子氏の声は、整数次倍音なので、濁った音が入っていないので、伝わりやすく、反対に、ビートたけし氏の声は、
非整数次倍音なので、濁っているので、人に伝わりにくいという話をされておりました。

いつもテレビ放映されている番組は、ビデオにとって1.5倍速で視聴するのですが、ニュースステーションなど、たけし氏が司会をする番組は、早送りをするととても聞き取りづらく、仕方なく等倍でビデオを見ることが多いですが、この非整数次倍音の理論を聞いた時に、聞きづらい原因がわかりました。

西洋音楽ができるかぎり雑音を排して、整数次倍音で音楽を構成されているのに比較して、日本の民謡や音楽、東洋音楽などは、西洋音楽と比べて、非整数次倍音を入れる音楽で成り立っているとのことです。

ゲストで参加しているフラメンコ奏者の沖仁氏が、フラメンコ音楽も、この非整数次倍音を出来る限りいれて、また、入れることで、サビの効いた音楽になるようにしている事を話して、実際ギターで演奏されて、見せてくれたのは、ギターを習っている自分にとって、とても有意義でした。

人も、味のある人は、この非整数次倍音というべき、遊び心がある人で、遊びや紆余曲折した生きた証が、人間味を醸し出すと思いました。