流れに乗れず、流されず2015/02/01 20:16

新宿西口モノリスビルに用事があったので、ついでに、都庁の展望室に行って見ました。都庁の展望室の見学は、10年以上前の事で、いつ行ったか忘れております。
以前行った時は、展望室は、ただガランとした空間でしたが、今回は、日本を訪問した外国人の人達が多数きており、展望フロアーも日本の特長あるおみやげなどが、かなり置いてあり、外国人対応の場に変わっていました。

東京の街を俯瞰しますと、人口1300万人余のこの大都市から、常に、才能を持った人達が生まれてくることを感じます。
所狭しとひしめき合った町並みや車、人びとが、多くのエネルギーを発して、それがひと塊になって、大きなエネルギーを特定の場所、特定の人に集中的に集まってくるのではないかと感じます。

例えば、今週の朝のテレビドラマでは、子役の住田萌乃が、6歳とは思えないような、好演をして、ドラマと言っても、思わずもらい泣きするほどでした。
自分が、両親の本当の子供でなく、拾われた子供だと親から真実を告げられたあと、ただ泣いたりするのではなく、衝撃の事実を知って戸惑い、傷つき、悲しみ、最後はそれを受け入れて笑顔を見せる、このような演技が、微妙な表情の変化をつけて、わずか6歳の子が演じたことは本当に驚きでした。

老年の時代に突入してきますと、どのジャンルについても、見えないことが見えてくるので、歳はとってみるものだと、最近は実感しております。
また、もっと早く気がついていれば、もっと人生を楽しめてこれたのにと感じるときもあります。

老いては子に従えと格言があるように、若者が作り出す、創造のエネルギーには、現状を打破し、時にハッとするするものを感じます。

古い定型化された教育や、音楽や美意識の中で育った、オジサン世代と違って、例えば、若い人の作る、音楽は、リズム、和声、振り付け、それにのせる言語に至るまで、刺激を受けるものでありますが、なかなか自分の中で消火できません。

音楽を例に取れば、せいぜい、私達おじさんが若い時代は、多くても、5~6人の編成で歌っていた歌手のグループも、今ではAKB48に代表されるように多人数化もあたりまえになっています。

多人数で、演技、演出できる舞台構成を見るにつけ、集団と個、575の俳句、短歌の歌いまわしや和声、リズムから、自由詩の流れ、ジャズや12調律の流れに、一見音楽になっていないようで統制が乱れない演奏形式などに触れると、とても刺激を受けると共に、もう、おじさんでは、この流れは作り出せないと感じます。

自分の老いを隠すために、若いもののやることは、くだらないと言って、ラジオも聞かず、テレビも見ないで時代から身を引いていきます。
自然と、カラオケも、古い曲しか歌えなくなります。
よく、歌手や作曲家は、行き詰まって、麻薬に逃避する人がいますが、流れから離脱した焦りを取り戻そうとする愚行だと感じます。

自分もこの歳で、フラメンコに傾注だしたのも、若者の作り出す世界には、興味があるのだが、あたしい事を創造できない、新しい流れについていけない老いを隠すためであるのかもしれません。

厳格なリズムと和声を守って、つくり上げる、民衆の心から発信したフォークソング(土着音楽)に自分の居場所を発見したのかもしれません。