新春にて2015/01/04 19:50

寒中見舞い申し上げます。
昨年、義母が逝去いたしましたので、年頭の挨拶を控えさせて頂きました。

毎年、恒例行事として、田舎に帰省したり、親が上京したりして、年末年始を過ごしておりましたが、ついに我が家も、かみさんも私も両親がいなくなって、寂しい正月を迎えることになりました。

しかし、子どもたちが、我が家に来て、テレビを見たり、一緒に食事をしたりして過ごすことができることは、幸いであります。
50歳を超えた男では、5人に1人は、終生独身の時代と言われておりますが、家族があることは、有難いと感じた初春でありました。

老いるということは、若い人から、生きるエネルギーをもらうようになることであり、老いの過程を親の生き方をみて学ぶことであります。

今年は、もう親から老いるということを学ぶことができなくなった歳の始めであり、今度は、次の世代に老いることを見せていく順番になってしまったことで、新春新たに、晩生を汚さないようにと、決意を新たにしております。

今年も飛躍の年にしましょう。

焼き畑農業的生き方2015/01/12 20:28

昨年旅行先で見つけた、馬のスケッチの習作です。
今年は、未年になったとはいえ、馬の跳躍する姿のように、気分は高揚しております。

昨年の一番のエポックは、40年余も弾いていた、クラッシックギターをフラメンコギターに乗り換えて、フラメンコ教室の門を叩いたことでした。

途中で、挫折することもなく、フラメンコギターが手に馴染むようになり、フラメンコ独特の奏法で手が動くようになってくるたびに、ますますフラメンコの世界に嵌り込んで来ております。

独学で習うよりも、先生についたことで、いままで、いい加減に弾いていたギターも一から、奏法から直されて、また見なおして、弾くことに対して貪欲になってきています。

一つ、のめり込む趣味ができたことで、新しい音楽に出会うだけでなく、いろいろなことに、そこから派生する、新しい世界の広がりに興味の幅が広がっております。

過去に弾いていたクラックギターの世界を、焼き畑農業のように、一旦、その草や木を焼きつくすように、40年余のギターの垢を勇気をだして焼き払ったら、その焼き払ったものが肥料となり、また、新しい芽が出てきた感じです。

このことで、新しいことを始めるに一旦過去の栄光を捨て去ることで、過去を土台に更に新しい芽が出てくることを実感しています。
ちょうど、転職をした時と同じような感じです。

いつも紆余曲折しながら生きてきていますが、焼き畑農業的生き方で、この年まで来たのだとも実感しました。

大寒を過ぎて2015/01/25 20:48

1月20日の「大寒」を過ぎて、だんだん春めいて来るようですが、今日は、3月中旬の暖かさということで、天気も良く過ごしやすい気候でした。

この春めいた暖かさとは別に、世界では、宗教を背景とした悲惨な殺戮が行われており、拉致された日本人の安否が気がかりです。
信ぴょう性は定かでありませんが、既に期限を超えたということで、湯川さんが殺されたニュースが流れて、そのことだけで、震撼しております。

いままで、気楽に海外旅行に行ってきましたが、つと、日本人に対しては、各国とも寛容で、いまだに壁面のいたるところに銃撃戦の弾痕の跡が残る、1992年に独立した「ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国」を訪問した時でも、入国審査は簡単で、世界の信頼を受けている国だと嬉しさを感じました。

また、アメリカとの国境を挟む、メキシコのティファナの町に、出張に行った時でも、日本人の乗ったバスは、メキシコからアメリカに国境を渡るとき、銃を持った検察官が、バスの中に乗り込んで、社内を回覧しただけで、パスポート審査もなく通してくれて、ここでも日本人であることを誇りに感じていました。

この世界のどこでも、信頼されていた日本も、ついに標的にされて来たことは、本当に恐ろしいことです。

今回の出来事で、世界が大きく変容してきている事を身近に感じております。
早く、無事開放されることを願っています。