習いごと2015/03/08 19:46

フラメンコ教室に通い始めて、3月3日で一年が経ちました。

田舎育ちの所為か、周りに色々な事を教えてくれる人に恵まれなかったので、いままで、習いごとで人についても、ほとんど長続きすることがありませんでした。

私の記憶では、保育園時代に、絵の教室に通いました。
たしか、「学校給食」というテーマで出された課題に、パンを二人で運ぶウキウキした様子を絵に表したのですが、教えてくれる先生が理解できず、泣く泣く、机の上に配られた給食の食べる絵を描かされることになり、(多くの教室に通っていた生徒は、このありきたりの絵を描いたのです)、それから、教室に通うことが嫌になり、辞めました。

次に通ったのが習字ですが、これも教室に来て、ひたすら墨を摺る人がいて、こちらは、せっかちで「くれたけのチュブ入の墨」をだして、ささっと書いたら、墨の色が良くないと言われて、次から、墨をひたすら摺ることをさせられて、すっかり気乗りしなくて辞めました。

その次が、ピアノで、これも、おばさんに習った時は良かったのですが、発表会のリハーサルで、ヒステリーの若い女の先生が、明日発表というのに、この女の先生の親である、おばさんの教え方が悪かったのか、ヒステリックに弾き方が悪いと怒りだして、自然とピアノ教室から遠ざかりました。

そろばんもゴルフも(これは、才能がなかった。昔から運動神経に恵まれていなかった事が露呈し)、性に合わないので、直ぐやめて、この頃になると、もう人について教えてもらうことが、嫌だという、トラウマになりました。

それ以後は、塾も行かず、ギターは、NHKテレビギター教室で覚えて、常に、一人で吸収してきました。

ところが、フラメンコは、伝承の音楽と謂れうように、楽譜がなく、口伝えで、踊りも、手拍子も、ギターも覚えていくことが、通例で、この壁を乗り切る事が、とてつもないハードルでした。

ある人は、人に教えてもらうのは、独学で習うより、短時間で目標とするところまで到達できるといってました。

勇気を振り絞り、ようやく、教室に通い始めて、1年が経ち、独学より、習うことが早く上達する事をしり、また、ようやくトラウマから脱出できそうで何よりです。

北陸新幹線の開通で思うこと2015/03/15 20:49

昨日、北陸新幹線が開通して、最速2時間半で、金沢と東京が結びつくことができるようになりました。

テレビ放映も、地元の人達も歓迎一色で塗りつぶされた光景を見ながら、ふと、また、これで、地方文化がまた、崩壊されていくかと思うと寂しさを拭いきれません。

鉄道路線は、いつまでも効率と時間短縮を目的に、その進歩はどどまる所を知りませんが、切り捨てられていく、多くの文化や人の心のありようまでも、変えていくのではないかと思います。

この処、出張で毎週のように金沢まで来て仕事をしておりますが、
新幹線が直接停まる駅の周辺以外は、何も恩恵を受けず、むしろ、切り捨てられている現状を知るにつけて、哀しいものを感じています。

私の出張先は、金沢から富山方面に向かう駅にあるのですが、JRから第3セクターに移行されたために、路線はズタズタにされ、料金も上がり、電車の本数も減らされ、更に、いままで停まっていた、急行列車すらなくなり、不便に不便を重ねるようになりました。

高岡の駅などのキオスクでは、駅弁など購入することができたのに、JRから第3セクターに無理やり移行されたために、キオスクは廃棄され、今では何もない駅に成り果てました。

電車の運賃も、2つの第3セクターをまたぐために、運賃も大幅に値上げとなりました。

高岡の駅などは、大幅改造をし、新しい駅として莫大な費用をかけたのに、今後は新幹線も停まらず、ただ単に素通りしてしまう駅に成り下がり、街の衰退はますます拍車がかかるようになってしまいました。

金沢だけが、一人勝ちになってしまいましたが、その金沢の街すらも、新幹線の開通に伴って、市の中心部が駅前に移動してきてしまうので、名古屋のように、中心街が栄から、駅前に移動してしまったように、古くから市の中心として繁栄していた、片町や香林坊が軒並み衰退して、加賀百万石の文化の終焉を迎える第一歩となっています。

時間効率を追求したつけが、これからいたるところで顕在化してきます。
金沢の文化や、落ち着きのある風情を見るにつけ、崩壊の一歩が始まった悲しさを感じます。

春の嵐2015/03/31 19:28

土曜日からウィールス性胃腸炎で、4日も寝込みました。
一緒に出張に行った同僚は、若いのか2日で、現業にカンバックしたようです。

最悪なことに、家内まで飛び火して、桜満開の中、春の嵐に見舞われております。