鵜飼を見てきました。2011/07/30 19:06

しばらくブログの改訂をしていませんでした。

我が家の一大イベントである、音楽発表会が終わり、それまでの長い準備期間の後の、祭りが終わった後のような疲労感に見舞われていました。

発表会の後、かみさんは一足先に実家に戻っており、独り身の不自由な生活を数日送っていたのですが、大阪、京都方面への出張がありがたいことにあって、そのついでに、名古屋のかみさんの実家に顔を出すことができました。

久しぶりの訪問にも、非礼をとがめられるかと思いきや、義母の大歓迎を受け、しかも、岐阜に、鵜飼を見る宴を予約しておいてくださったのでした。

岐阜長良川の鵜飼いは、5月11日より、10月15日まで毎日行われるとかで、鮎の捕獲が許される時期と一緒です。

7月23日の土曜日は、数多くの観光客で盛況な賑わいでしたので、通常、19時45分ごろに行われる鵜飼漁が、当日は、2回漁がおこなわれました。

遅く申し込んだ我々は、夜8時40分乗船、9時15分ごろからの第2回目のグループとのでした。

船に乗り込みむと、我々が申し込んだホテルの船だけでなく、いろいろなホテルの客や団体客を乗せた船が、おおよそ、20艘程度の屋形船が、勢揃いすると、約15Mぐらいの船に、きれいどころのお姉さんがた、5~6人が船の上で盆踊りを踊りながら、今や遅しと鵜飼漁の始まりを盛り上げます。

この踊りを行うことで、この間に、ばらばらに集まったそれぞれの客を乗せた船を整列させるのです。
船が整列し、盆踊りのお姉さんが来訪のあいさつをすると、長良川に沿ったホテルの明りが消されて、川上から、かがり火を焚いた船が、一艘、二艘と陸続と集まってきて、それぞれの船の先頭には、鵜庄にひもでくくられた10匹程度の鵜が、必死に潜って、けなげにも。魚を一生懸命取るではありませんか!

しかし、彼らの首には、ひもが結ばれているので、捕獲した魚を食べることができなくて、喉元が魚で満杯になります。
その満杯を見計らって、鵜庄は、鵜を引き上げて魚を吐き出させるのです。

かがり火の明りと、鵜飼の声、鵜庄の声で、いつの間にか幽玄の世界に引き込まれていき、何とも言えないせつなさを感じてきます。

6艘の船が共同して、囲いを作り、魚たちを追い込んで行う、総がらみの漁が始まるころには、漆黒の闇の中で、すっかり、鵜と鵜庄が、能舞台で踊っているように感じてきます。

「面白うてやがて哀しき鵜飼かな」 と芭蕉ガ俳句にしたためたように、漁が終わった後の船の中には、一抹の静寂さと哀(愛)しさが残り、それらを感じながら下船いたしました。

1300年の歴史と、今は宮内庁に属していますが、代々鵜庄は世襲制とのことで、日本の夏の風物詩として、伝承されていくべき文化であると感じました。

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