節電の7月になって2011/07/09 19:48

15%昨年度より電気の使用量を削減するとの国の方針で、7月よりさらなる節電の季節に突入いたしました。

会社でも上司が愚かだと会社が傾くように、国の長が未熟だと国全体が迷走します。
梅雨が明けていないのに、夏本番さながらとという、ここ1~2週間の異常な暑さに、国が迷走し始めた、やり場のない閉そく感がいやでも、暑さを倍加させています。

7月からは、さらなる節電の推進となり、会社もクーラーの温度を28度に設定したり、日中の照明器具も極力使わないように対応したり、個々人の家でも何らかの節電対策をしているでしょう。

クーラーが思いっきり使えない環境では、代替機械として、どうしても扇風機に頼りたくなるのですが、これが、なんと、
どの家電屋さんを回っても、扇風機が無いのです。

たまにあっても、日本製はなく、目玉商品として並んでいる扇風機は、皆、中国製で、しかも、うろうろしている間に、あっという間に売りきれてしまいます。
こんなに扇風機が飛ぶように売れている家電屋さんを見たのは初めてで、圧倒されました。

一つの部屋で2台の扇風機を回すと、一つはデリベントファンのように、部屋全体をかき混ぜるような扇風機を使うのですが、首振りの速度の差が、それぞれが起こす風が不規則に混じり合って、風の強さが変わり、自然の風のように強弱が出て、涼しさが倍加することが分かりました。

本日、人の勢いで、圧倒される家電の扇風機売場で、おひとり様1台でなく、おひと家族1台の扇風機を、選に漏れず買うことができ、もう一部屋も2台扇風機体制をとることができました。
もちろん中国製でした。

無策な電力政策のために、電気もない日本から、ますます工場が海外移転になっていってしまい、超インフレになり、失業者で街があふれかえり、安く買って食べられるものの無くなる時代が本当に来てしまうのではないかと、安い扇風機を回しながらふと感じました。

来年は団扇も、1扇、1000円でも買えない時代になるかも知れません。
おじさん元建築家軍団では、設計のプロセスの中では、設計ミスはたまにあることですが、
設計未熟は絶対に許されません。未熟さはプロでは絶対に恥ずかしいことです。

国づくり、再建復興は、プログラムが複雑になればなるほど、ミスはプロセスの中では、発生するものですが、建築の設計と同じで、国づくりの未熟は絶対に許されないことです。
未熟さが、国滅びないようにしてもらいたいと切に願う毎日です。

鵜飼を見てきました。2011/07/30 19:06

しばらくブログの改訂をしていませんでした。

我が家の一大イベントである、音楽発表会が終わり、それまでの長い準備期間の後の、祭りが終わった後のような疲労感に見舞われていました。

発表会の後、かみさんは一足先に実家に戻っており、独り身の不自由な生活を数日送っていたのですが、大阪、京都方面への出張がありがたいことにあって、そのついでに、名古屋のかみさんの実家に顔を出すことができました。

久しぶりの訪問にも、非礼をとがめられるかと思いきや、義母の大歓迎を受け、しかも、岐阜に、鵜飼を見る宴を予約しておいてくださったのでした。

岐阜長良川の鵜飼いは、5月11日より、10月15日まで毎日行われるとかで、鮎の捕獲が許される時期と一緒です。

7月23日の土曜日は、数多くの観光客で盛況な賑わいでしたので、通常、19時45分ごろに行われる鵜飼漁が、当日は、2回漁がおこなわれました。

遅く申し込んだ我々は、夜8時40分乗船、9時15分ごろからの第2回目のグループとのでした。

船に乗り込みむと、我々が申し込んだホテルの船だけでなく、いろいろなホテルの客や団体客を乗せた船が、おおよそ、20艘程度の屋形船が、勢揃いすると、約15Mぐらいの船に、きれいどころのお姉さんがた、5~6人が船の上で盆踊りを踊りながら、今や遅しと鵜飼漁の始まりを盛り上げます。

この踊りを行うことで、この間に、ばらばらに集まったそれぞれの客を乗せた船を整列させるのです。
船が整列し、盆踊りのお姉さんが来訪のあいさつをすると、長良川に沿ったホテルの明りが消されて、川上から、かがり火を焚いた船が、一艘、二艘と陸続と集まってきて、それぞれの船の先頭には、鵜庄にひもでくくられた10匹程度の鵜が、必死に潜って、けなげにも。魚を一生懸命取るではありませんか!

しかし、彼らの首には、ひもが結ばれているので、捕獲した魚を食べることができなくて、喉元が魚で満杯になります。
その満杯を見計らって、鵜庄は、鵜を引き上げて魚を吐き出させるのです。

かがり火の明りと、鵜飼の声、鵜庄の声で、いつの間にか幽玄の世界に引き込まれていき、何とも言えないせつなさを感じてきます。

6艘の船が共同して、囲いを作り、魚たちを追い込んで行う、総がらみの漁が始まるころには、漆黒の闇の中で、すっかり、鵜と鵜庄が、能舞台で踊っているように感じてきます。

「面白うてやがて哀しき鵜飼かな」 と芭蕉ガ俳句にしたためたように、漁が終わった後の船の中には、一抹の静寂さと哀(愛)しさが残り、それらを感じながら下船いたしました。

1300年の歴史と、今は宮内庁に属していますが、代々鵜庄は世襲制とのことで、日本の夏の風物詩として、伝承されていくべき文化であると感じました。