少しの贅沢2011/01/30 21:44

いま、私の周りでは、「少しの贅沢」という動きがあります。
アラカン世代になってきて、残りの人生がわかってくると、自分へのご褒美に幼少のころから欲しかったものを手に入れたり、美味しいものを少しつまんでみようとする動きに変わってきます。

ある人は、一杯の水を飲むにしても、水を飲むときにだけつかう、コップを厳選したり、特定の水を選んだりする人も出てきます。

また、ある人は、お酒の嗜好が研ぎすまれ、ビールにこだわって特定のビールだけを飲むようになったり、コーヒーにも特別なこだわりを持ち始めたりします。

住宅は人生を楽しむ器であると考えているものにとっては、損得勘定で住宅を賃貸住宅にするか、自己所有するか計算すること自体、ばかげた行為のように、こだわりの商品については、損得抜きで楽しむものでしょう。

さて、最近会社では、「一杯の幸せ、少しの贅沢」という合言葉で、ボット式のコーヒーメーカーを購入する人が増えてきました。

インスタントコーヒー1杯約20円 ドリップコーヒー50円、ボットコーヒー70円とおおよそのコスト差がありますが、ボットコーヒーの入れるたびに新鮮さと、抜群の味に、魅了されてしまう人が増えてきました。

たかがコーヒーされどコーヒーでありまして、損得抜きで、一杯のコーヒーに至福の時間を持つことができます。

少しの贅沢があればあるほど、人生は豊かになれると感じています。
最低限のゆとりのお金と、一緒に飲食できる人、味わいの時間を持つことができるゆとり、精神的な安定、・・・
これは、「少しの贅沢」ですが、年齢を経たものだけが共有できる、崇高なものであると感じます。