新春に帆を揚げて2011/01/09 20:52

2011年もはや、10日を過ぎてしまいました。
昨年は、義母が、心不全で入院騒ぎがあり、田舎に見舞いにいったり、私的なごたごたがあり、優雅な正月でありませんでしたが、今年は、義母も上京できるまで、回復して、ひさしぶりに楽しい年末年始を迎えることができました。

年頭になると、いつも、今年こそはと、意気込むのでありますが、その気持ちを持続させることは、容易でありません。

昨年は、初めて、とある教室に通い、技能習得に励みました。
田舎で育ったためか、人に教えてもらうことも、教えてもらう場所も、ピアノや、習字や、勉強塾以外なかった環境で、しかも、塾など、浪人時代の予備校に通っただけでしたので、人に教えてもらうという経験は、学校の授業以外にはありませんでした。

しかし、人に教えてもらうことが、こんなに、習熟の近道だったことをしり、ずいぶん、回り道をしたと思いました。
それと、いったん迷ってから、また先生についた人は、疑問点が明確でありますので、より習熟度は早いと感じました。

今年は、今の教室が1年というカリキュラムなので、一旦そこで、終了し、また、疑問点が明確になるまで、違う方面で、人に教えてもらおうと考えています。

今年は、長年弾いてきた、クラシックギターも一度、1ヶ月から3ヶ月くらい先生について、再度勉強をしようと思っています。
また、もうひとつ、ネットスクールで、自己啓発をしていこうと感じています。

表紙の絵は、昔描いた帆船の絵です。
大きな海を渡るには、いろいろな種類の帆が必要です。
今年は、さらにいろいろな帆を揚げて、大海原という人生を渡って生きたいと感じています。

カワイイ建築の流れか?2011/01/10 20:26

年齢か、時代の移り変わりか、個人個人が、現代建築が捉えられなくなって来ている危惧感は、ちょうど、年をとって来ると、新しい曲が覚えられない、歌えないという感覚に近いものかも知れません。

技術屋や専門家は、いつも、そのことだけを考えて生きている人種でありますが、時代の流れは、好む好まざるを得ないでも、よどむことなく流れていきますが、特に、現代社会では、急流のような勢いで、時代が過ぎていく感じを受けていますが、その、専門職の人にとっても、流れが速くて、時代についていくのは、容易なことでありません。

建築は、経験則の部分が多分にあるので、いわゆる、安全で、雨露しのぐという建築が「シェルター」としての根幹の部分があり、そこに根付く技術の進歩は、他の産業と比べて歩みが遅いので、定年退職した世代でも第一線で働くことが出きる、特殊な産業と思います。

しかし、表層の部分は、やはり、流行、人の嗜好、社会の要求されるニーズに合わせるために、その流れは、日進月歩です。
建築家の安藤忠雄氏は、必ず敗れ去る「若さ、自分の生命」への挑戦のように、建築に対しても、いずれ、時代に敗れ去る時が来ることが明白ですが、いまだに、第1線を走る闘争心には、深く感銘を受けます。

建築も時代時代で要求される表現やニーズは移り変わっていきますが、仕事がら、今要求されている建築ニーズをどのように、表現し提供するかを考えるのに、少し納得する著書がありました。

それは、「カワイイパラダイムデザイン研究」という、真壁智治とチームカワイイが平凡社から出版された本です。

本書では、「カワイイ」という、言葉の定義を、心安らぐ、安心できる、癒される、人とつながれる、気持ちが高揚する、より楽しくなる効果を生むものとして解説しております。
そして、使い手、観客の側から建築をとらること、カワイイ感性に触れる仕組みや、プログラムデザインの提唱をしようと描かれています。

建築に対して、カワイイという感覚、評価を重視し、建築を気分で捉えることは、
1.建築に対する素養のあるなしに関係なく直感されるもの
2.建築から生き生きとした生命的な息吹が直感されるか?の
観点で、これまでの感覚・評価と様相がことなり、
建築を作るものも生活者も、感覚享受と、ものの発見、決定につながる
意思疎通につながっていると。

建築の作り方も、カワイイ発想が、使い手と目線を合わせ、
「建築」がより身近に自分たちの対象として、取り組んでいける土壌になったことを感じます。

カワイイという感覚は、NHKテレビの東京カワイイTVで、紹介される前から、世界言語として広まってきています。

今年は、この世界潮流を受けて、さらに「カワイイ」建築が出現しそうです。
どんな建築が出現するか、楽しみな年です。


<参考文献>
カワイイパラダイムデザイン研究  真壁智治◎チームカワイイ
世界カワイイ革命         桜井孝昌
東京カワイイTV           NHK
「かわいい」の帝国        古賀令子 他

昨年のショパンコンクール雑感2011/01/10 20:40

2010年は、ショパン国際ピアノコンクールが開催された年でした。

このコンクールは、5年に一度というインターバルの長さと、概ね28歳までの年齢制限が加わり、しかも、ショパンの作品しか弾くことができない、厳しいコンクールであります。

今年の日本人の出場者は、実に17名でしたが、昨年2010年9月20日に私のブログに掲載させていただいた、渡辺友里さん他5名が2次予選まで進めましたが、その後、誰も、3次予選まで進めることができませんでした。

今回の優勝者は、ロシア人のユリアンナ・アヴデーエワという、25歳の女性で、実にアルゲリッチ以来、45年ぶりの女性の優勝者でした。

12月に偶然、NHK教育テレビで、来日しN響と競演した放映を見ましたが、完成度の高さ、堂々たる演奏で、この年で、今までどんな演奏活動をしてきたのか、まさに驚嘆いたしました。

ショパンを弾ける人は、ショパンがピアノの詩人といわれるように、叙情的で、病弱であったときの閉塞感、ロシアに対峙するポーランドの愛国心、愛の遍歴、ジョルジュ・サンドとの愛の懊悩、など、旋律の美しさに秘めた心の部分を知らないとただ単に、鍵盤の上に手がうまく動いているとしか言いようのない演奏になってしまいます。

ユリアンナ・アヴデーエワさんが、25歳の若さで、ここまで演奏ができるのは、何故かと思っていましたら、NHKテレビの対談で、演奏活動をしていく上での、(うわさではもう結婚されているとかで)、生活の両立のことや、人間の幅についての疑問を自分に投げかけていたことでした。

完成度の高い人でありますが、更なる高みでの演奏家をめざして羽ばたいていただきたいと思いました。

何事も経験2011/01/16 20:09

今日は、全国的に大雪であったようです。
東京は、夕方まで、雲ひとつない快晴で、今年一番の冷え込みとかでしたが、外に出ると、きりりとした空気が大変新鮮でした。

ニュースで、各地の大雪の情報を取り上げるにつけ、雪国を経験している人と、まったく経験していない人とでは、情報ひとつでも受ける印象が違うのではないかと感じます。

北海道で暮らした経験を持つ我が家では、テレビで雪国の情報が発信されるたびに、その当時 暮らしていた、その場所の空気や雪に閉ざされた気持ち、雪の冷たさ、雪が凍り付いて滑る感覚など、鮮明によみがえってきます。

人間の経験は、この感覚と似ていて、同じ経験をしたことがない人にとっては、なかなか、その情報を伝達することが難しいと感じています。

おじさんのおじさんたる由縁、長老が一目置かれるべき存在であるのは、このような経験量の差では無いかと感じます。

何回も勃興、荒廃している国や、歴史が浅い国が、無思慮、軽薄、無法であるように、経験、蓄積を重ねて来た、長い歴史を持ち.経験蓄積が豊富である、イギリスや日本のような、不文律の国が、凋落の道を歩み始めていることに、現在の政治の不毛さと危機感を感じます。

寒椿2011/01/23 21:35

きりりとした冬の寒さの中で、寒椿が咲き誇っております。
椿といえば、花がぽとりと落ちる様をみて、縁起の悪い花だといって、忌み嫌う人がいます。
しかし、冬の寒空に真っ赤に咲く、寒椿を見るとすがすがしさを感じます。

明日から、国会が始まろうとしますが、批判ばかりして、政策論争をしない、自党の方針を述べない野党党首や、ダッチロールのように、ぴりりとしない与党では、日本も先行きが暗いです。

与党の影のドン、小沢一郎氏の問題が大きく取り上げられいますが、無罪か無罪であるかななど問題でなく、ましてや証人喚問をするとかしないとか、むなしい国会の空転を見るにつけ、早く国民の税金を使って、国を動かしてほしいと願うばかりです。

サラリーマンの社会では、部下が不祥事を起こしたり、警察沙汰になった場合は、すぐ、部下管理能力が問われ、引責辞任するか、解任されるのに、こと、政治家の論理では、部下の不祥事の責任をとらない、風潮が不思議でなりません。
部下一人の責任も取れない政治家に、ましてや国など任せられないのは自明の理であります。

小沢氏を必要以上に擁護する代議士には、国を守ること、サラリーマンがどのように厳しい立場で日々の業務をこなしているかわかっていないのか、なぜ、引導を渡せないのか不思議でならず、次には絶対に当選させないと肝に銘ずるのであります。

寒椿のように、部下に対する責任をとって、潔くぽろっと首を落とすのが筋合いではないかと感じております。

寒椿の花言葉を調べたら、これまた、「謙譲」と出ており、いいえて妙であると感じました。