漫画 文化論2010/09/18 17:48

前回に引き続いて、書きかけのドラえもんの漫画が出てきました。
ふたたび漫画の話をしようと思います。

日本の漫画がなぜ、世界中に広まったのか?
また、日本が漫画やアニメが他の国の追随を許さないほど、先端を走っていたのか?
多くの好奇心を掻き立てる話題に事欠きません。

NHKの朝の連続不ドラマで、今年は、「げげげの女房」が放映されており、松下奈緒のキャラクターとともに、爆発的な人気を集めています。

ドラマは、水木しげるが貧しいかった時代に、嫁いだ水木しげるさんの奥さんの目を通して、漫画家水木しげると、漫好きなことをして生きる漫画家魂をの生態と生きざまを見せてくれています。

日本の漫画がなぜ、現在このように世界的に認知されてきたのかという背景の一つの回答は、
損得抜きで、漫画家が、好きなことにいちずに打ち込んでいることがあげられるのではないでしょうか。

日本の伝統工芸の職人さんの心意気に匹敵する、そのひたむきさが、他人を感動させているのではないかと思われます。

さらに、そのひたむきさが表れた紙面以外に 西洋と東洋の文化の差異が、美術感が、ようやく西洋文明に住み人たちにわかりはじめられて、異質な文化のとらえ方、ふれあい方がが、より人々の好奇心を刺激され、認知されてきたことがあげられるでしょう。

歴史を振り返れば、欧米諸国や、イスラム諸国では、一神教の国が多く、偶像崇拝を禁じられてきたので、東洋宗教、たとえば、仏教にあるような、男女はおろか、鳥獣に至る、さまざまな(仏)像を持つことがありませんでした。

多神教であった、ギリシャ文明、紀元300年代に、コンスタンチヌス1世がキリスト教を国教と認知する途中まで、多神教であったローマ時代でも、東洋のように、さまざまな立体像を生み出すことが少なく、もっともキリスト圏ややイスラム圏に征服を繰り返されてしまったために、ほとんどの偶像が破壊されてしまったのか、唯一、戦争や力を誇示する男性の裸体像か、豊かさの象徴である、女性の裸婦像、また、ビーナスと称して、女性の裸体を正当化して表現している壁画しかなく、好奇の対象が、エロスと戦であったことがわかります。

ルネサンス機にいたって、一挙に芸術は開花され、人間復興がうたわれ、キリスト史観から解放され、多くの芸術が一挙に花開き、排出されましたが、西洋文明では、人間がすべての生物の頂点に立っている宗教感が物の見方の立脚点でありますから、人間そのものを動物として見る観点はありません。

よく日本における漫画の原点は、12世紀、13世紀の平安、鎌倉時代に描かれた「鳥獣戯画」であるとする説がありますが、
人間を動物と同じ、生きとし生けるものの、一員としてとらえる、東洋人、日本人の世界観がこの鳥獣戯画を描かせたベースにあると思われます。

人間が動物と同じであり、人間と動物とを分けている身近な例では、他人から非常に悔しい思いをさせられたとき、よく口に出される言葉に、「ちくしょう!畜生!」という言葉があります。

この「ちくちょう!」という相手に対する放言、罵倒語ですが、人間も動物の一員であるが上、人間としての品行を落とせば、すぐに、犬や猫のように畜生になり下がってしまうとする生活感が、非常な人間に対して、某物のように生きている奴だと批判して、畜生という言葉が浸透しております。

人間が一番偉いとする、西洋的な考えでいる世界観の中では、漫画はなかなか活力を持つことができません。
漫画の歴史の中では、イギリスのピアトリクス・ポターが、イザーランド・ドウーフというウサギの種類を模して、ピーターラビットを生み出したのが、1893年から1902年ごろです。

その後、ウォルト・ディズニーが1928年に、蒸気船ウィリーで、ミッキーマウスの原型をつくりあげます。

日本では、1935年に、田河水泡氏が、「のらくろ」を生み出しますが、
漫画の中で、日本の「のらくろ」だけが、人間と一緒に登場します。

ミッキーマウスにしても、ピーターラビットにしても、そこには人間と一緒に画面上で同じ世界で介在することはありません。
ウォルトディスニーの昔の映画では、ミッキーマウスが登場する映画では、ミニーやドナルドダックが登場し、
ポパイには、オリーブやブルーとが登場し、動物が一緒に出現することはなく、たまに、登場してきても人間と対等に言葉を話したり、人間と同格の人格を与えた動物はいません。

人間はあくまで他の動物より優れているという根柢の概念では、スーパーマンやスパイダーマンのように、人間が超人的になります。

東洋思想では、孫悟空や沙悟浄や、猪八戒が三蔵法師と一緒に旅をしたり、桃太郎のように、雉も猿も犬も人間と同様に言葉をじゃべり、活躍します。

生きとし生けるもの、また、人間は発明したロボットまでも、人間と対等であり、人間と同じように感情移入できる、この日本人や、東洋人の感性が、ロボットは人間を助け同じ仲間として、鉄人28号を生み出し、鉄腕アトムと生み、さらに、ドラえもんやピカチューとなって漫画やキャラクターが生み出されました。
そして、その全世界感のとらえ方が、言葉の少ない漫画から、
強制でなく、感性に富んだ子供達から、日本人の自然観、感性が認知され、世界的に広がってきました。

スティーブン・スピルバーグ監督の「AI」という映画 人間を有機体と位置づけ、ロボットを人間とは対岸にある機械と位置づけ、相反するものとして捉えている世界観とは完全に違う世界です。

動物では、ドラゴンボールに登場した孫悟空、アニメキャラとしての、キティちゃん、この大きな流れは、見逃すことができません。

「おかえりなさい。ご主人様!」
萌え語とともに、漫画の感性を受け継いだ世界の人々が、これからは世界で、新たな漫画が発信されてくる予兆を感じます。

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