目が復帰、視線操作に変化が2020/07/05 08:14

1ヶ月にわたる、白内障手術およびその後の通院、療養で、ようやく
目が復帰しました。

驚くことに、世の中が明るくなり、30cm程度のところが見える、単焦点レンズを眼内に入れたのですが、室内で暮らすには、ほとんど眼鏡が不要となりました。

7月3日、6ヶ月間は、無償でレンズ交換してくれるという眼鏡屋さんで作った眼鏡ができました。

遠近両用眼鏡ですが、「見えすぎちゃって困るわー!」という感じです。

「アメリカの未来を探る」というテーマの海外研修出張で、同室になった他社の人と、1週間寝食を共にしたことがあるのですが、
その人が言うには、「目が悪い人は、とかく女性を見るときに、じろじろ集中して見てしまう習性があり、その仕草が、親父のスケベ感を出してしまうのだ。」と話し、
「スケベ感を悟られ無いためには、その女性の姿、形ををいったん、網膜に焼き付けて、その残像を見るようにするのがいい」と、話していたことが思い出されました。

白内障手術後は、そんなテクニックを駆使しなくても、目を凝らす事もしなくても、美しい人は、より美しく自然に見えるようになりました。
逆に、自分の身体の衰え、顔のしわ、シミが気になり、老醜をさらしているのではないかという恐怖感もあります。

目が悪い人は、想像で画像を組み立てますので、心眼が鍛えられます。
物事の判断力は、人に左右されずに自分の意思で、見ることができました。
自分も皺一つ無く若いと思っていました。若いという想像の産物の中で、自分が生きていたのです。

この様に、劇的に目が良くなって、何でも見えるようになると、今度は映像遮断して、物事の本質を見極めないといけないかもしれません。

文春砲のように、人の羞恥をさらけて売るような、蛇蝎のような週刊誌、人の揚げ足だけを捕らえるようになってしまった風潮など、
醜いことが多くなっています。

人間は本来、汚いことも内包して生きているという
暗黙知の人間の性、清濁併せのんで生きているという本質は
物事を見る上での重要な事で、人間社会を保つルールかと思います。

目の見える世界、何が待っているか、わくわくです。