ぼーるぺん古事記と人間讃歌2012/11/25 22:29

先週の水曜日の夜頃から右の歯茎が腫れて、ここ数日は、憂鬱な連休を過ごしました。

木曜日に、歯医者に飛び込んだら、いきなり麻酔なしで歯茎の腫れた部分に、針を突き刺さされ、膿を搾り取られました。

その後、荒治療のためか、また、歯肉が晴れて、瘤取り爺さんのようになってしまい、腫れが収まらず唸っていました。

荒治療をしたので、医者に禁じられお酒も飲めず、頬が熱を持っているので、気力が充実せず、じっと我慢の日々でした。

さて、外出するのもままならないので、買いだめた本を読んだら、
こうの史代さんの、「ぼーるぺん古事記」 の漫画にすっかり魅了されてしまいました。

初めに言葉ありきの、西洋社会と違って、日本には、中国から文字が伝来するまで、文字のない社会でした。

古事記の成立には、古今の学者が解明を下そうとしていますが、
日本に文字がなかったばかりに、漢字伝来後に記載されたというハンディがあるために、その成立は不明な点が多く、日本を後進国とみなす、西洋学者からは、すべてデタラメといわたりして、未だ結論が出ていないものであります。

漢字が日本に入ってすぐ、今まで口述で伝承されたものの多くが、書き留められました。

文字の無い文明が未開とする、西洋世界の歴史観では、文字の無い世界の文明がどのくらい、進んでいたかわからないものです。

漢字が伝来した瞬間から、日本では、古事記や日本書紀を始め、
万葉集や、その後、女流文学の源氏物語など、多くの文学が、人間の喜怒哀楽を唄って開花します。

これは、単に文字が伝来したことではなくて、その根底には、かなり進んだ精神文化が存在したことの証で、しかも、天皇も民(たみ)も防人(さきもり)も皆、平等に、詩を歌い、同列に、万葉集などは編纂されているのです。

平安時代に記載された源氏物語にいたっては、女性が、しかも人間の男女の愛欲、喜怒哀楽、貴族社会での栄華盛衰、死に至る老いの苦しみなど、表現され、言葉が先にあってある事象を説明するのではなく、
言葉にならない精神世界を言葉でない、言霊(ことだま)で表現されていたことが、漢字の伝来から一挙に表出されたのです。


西洋では聖書に書かれたものはすべて正しいものとして
それ以上を詮索しない不文律というものができております。

キリスト教でないものから見れば、矛盾だらけの書物が、単純な疑問もいだいてはいけないようで、すべては本当の出来事と認識されているように、これと同様な見地で、古事記を俯瞰すれば、
古事記も書かれたことはすべて正しいとすると、(もっとも、それが作り話としても)、実に壮大な、豊かな世界観を、古代日本人が持っていたように感じます。

西洋では、ルネサンスを通して、ようやく人間復興が叫ばれ、人間の感情表現が豊かになって来ましたが、西洋より、数段 進んでいた東洋社会では、ルネサンスなどを経なくても、もともとルネッサンスなど存在しない独自の歴史を歩んでいるのですが、人間賛歌に満ちた環境を持っていました。

よく、神話をなくした国は、滅ぶと言われているように、
神話の世界の亡くなった世界は、不毛であります。

ギリシャ文明が、一神教に飲み込まれて神話をなくして、一挙に滅んだように、神話をなくしたことで、アニミズムというべきか、その精神世界が一挙に崩壊し、その崩壊した人間讃歌、精神世界を取り返すのに、また、人間復興、ルネサンスという気の遠くなるような時間をを経ないと行けませんでした。

その点、日本は、漢字が伝来するまでに、人間讃歌の土壌、また、喜怒哀楽に満ちた精神文化を持った文明が、古事記や万葉集を見るにつけ、すでに築かれていたことがわかります。

こうの史代さんの「ぼーるぺん古事記」が、戦争時代に歪曲化された古事記の歴史観を、また、もとの人間賛歌の精神風土(驚くほど自由で、残酷でしかも、着飾ることの無い世界)の日本をボールペンを使って、絵物語として再現してくださり、また、日本人であることの精神基盤を示してくれたことは大いに評価でき、最近に無い感動を受けた図書でした。