老人と海 老いては子の目標に2023/04/23 09:35

本屋で何気なく立ち読みしていたら、
ある女性が、夫から勧められた、ヘミングウェイの「老人と海」を読んで
いても立ってもいられなくなって、退職を決意し起業された話が出ておりました。

この本の影響で、「老人と海」の小説を読み直してみました。
ストーリーは、誰でも知っているとおり、
ある老人が、長い間(85日間)も釣果がない生活を送っていた老人が、
海の魔物というべき、巨大なカジキマグロを、悪戦苦闘の末釣り上げるのですが、
カジキマグロを釣り上げたときの血のにおいに釣られて、
サメが、このカジキマグロに襲いかかり、港に着いたときは、大きな尻尾と骨しかなかった話です。

ここで取り上げられていることは、人それぞれに
感じる箇所が違いますが、老人をテーマにした物語です。

老人は、戦いの中でボロボロになりながらも、知恵と精神力で獲物を
釣り上げるのです。
その格闘の中で、獲物にも敬意を払い、海という大きな自然の中で、
自分も獲物も海に生かされている一部だと感じるのです。

世間は60過ぎたら老人扱いしておりますが、
自分の年齢が60歳を超えると、自分で自分をもう年寄りと表現する人が多いのです。
老人は、周りから規定されて、否応なく老人になっていくように思います。

しかし、世間の規定、認識とはかけ離れており、歳を重ねた人は、何歳になっても夢を追いかけているものでありますし、
その目的に向かう情熱、精神力は、若者を凌駕するものです。
まだまだやれるという(若い人から見れば、一種の幻想でしょうが)秘めた力です。
このずれは、自分が60歳を迎えたときに、実感しますし、電車で若い人に席を譲られたときに、さらに現実味をまして実感します。

渡辺淳一の小説「失楽園」のように、
違う方向にエネルギーを注ぎ込んでしまう人もいますが、
その戦う過程、エナルギーの注ぐ力は、若い人に、何か自分が生きたという証、
それは、技術屋では技術の伝授として、次の世代に繋がっていくように思います。
線香花火の、最後に燃え尽きる時が一番輝くような感じかもしれません。

立ち読みした、本の作者も、(筆者は若いのですが、)迫る老いに、いても立ってもいられなくなり、そのエネルギーを、退職、独立起業へと駆り立てたのでしょう。

一月ぐらい前に、「徹子の部屋」で、八代亜紀が対談で話しておりました。
彼女は72歳ですが、コロナで活動が中止に会ったときに、喉の調子がもどり、
今が、一番絶好調だと話しておりました。

その対談の中で、老後は何歳からだろうと、徹子さんに話されていましたが、
長老の徹子さんも、老後は何歳から始まるのかわからないと言っていました。

前期高齢者、後期高齢者など、世間では定義された老人の年齢はありますが、
老後は何歳からかの定義はありません。
いつまでも若い人は、衰えを実感しないし、しても、気にしていないものですね。

「老人と海」を読んで、改めて歳を重ねた人のすごさを実感いたしました。

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