それがどうしたという精神的独立について ― 2023/08/20 10:32

台風が過ぎたら、秋風が吹くかと思いましたが、
また、猛暑が戻ってきてしまいました。
お盆明けで、16日からは各企業も、また業務が再開されたようで、
暑いさなかの通勤の様子を映し出す映像も流れております。
横浜に引っ越してから、半年が過ぎてようやく落ち着いてきました。
仕事を辞めて、フリーターになりましたので、
「フーテンの寅さん」のように気楽です。
思わず、寅さんが、タコ社長の従業員に話すように、汗水垂らして働いている人に、
「労働者諸君!今日もお仕事ご苦労様、けっこうけっこう、結構毛だらけ猫灰だらけ、稼ぐに追いつく貧乏は無しか! 今日も暑いが頑張ろう!」と
現役の人達に、声をかけたくなります。
しかし、この、労働者諸君という、かけ声は、昭和の名残であるようで、
いつの間にか、労働者という言葉も消えてしまいました。
よく調べた人もいたもので、
映画の寅さんでも、「労働者諸君」という台詞は、
1987年第38作を持って使われなくなった様です。
この頃を境に、町工場や手作り作業の就業者は激減して、
大企業を頂点にピラミッド構造の、一億、総サラリーマン時代に突入していった様です。
われわれ、古希を過ぎた高齢者軍団の人達は、
この1987年頃の境の年代頃まで、週1日だけの休みで、夜昼無く働いて、
「聞け、万国の労働者!」と唱えて、
安い酒を飲んでは、憂さを晴らし、猛烈に働いて過ごしてきました。
駆け抜けた昭和という時代を過ごした、リタイヤ世代は、
駆けた先に素晴らしい世界があると思わされて走りましたが、
結局何も何もないことがわかり、企業経営を誤った会社は
債権放棄をしたり、倒産や一部上場企業から転落したり、
企業再生リストラという名の下に、多くの人が早期退職を余儀なくされました。
我々の激動世代は、今度は失われた時を取り戻すかのごとく、
自分が、家族が幸せに過ごすために、最後のあがきの次期を迎えております。
まだ、仕事について、現役の人もいますが、
私の友人などは、元の会社から再雇用の依頼が来たとウキウキ話してくれますが、
健康で一番活動できる時間と仕事をして収入があり金銭的ゆとりが在る時間との損益分岐点に在ります。
しかし、時間と健康とお金の損益分岐点は、誰にもわからないのです。
お金があっても、仕事で時間をとられた、失われた時を取り戻すにも健康が大事になります。
健康診断で不具合が見つかったときや体調を崩した時点、癌を宣告された時点で、骨折して動けなくなった時点で、
一挙に活動時間と範囲が狭まってしまいます。
高齢者は、毎日が、いつ病の刃にあたってしまうのか、
ロシアンルーレットの世界に住んでいるのです。
仕事の効用は、他人から見たら役立たない老人かも知れませんが、
社会的に自己が存在しているという満足感です。
退職すると、この社会的承認要求の満足が、仕事を無くすことで
サラリーマンは誰でも、サラリーマンの延長、
自分はいつまでも現役だという考え方から抜け出せない人には、
満足感が極端に欠落してしまうのです。
どんな人でも、多かれ少なかれ、農業従事者を除いて、
サラリーマン生活を定年まで送った人が、次の仕事を選択できる可能性は、歳を重ねるごとに少なくなってきます。
70歳を超えたあたりから、雇用は、単なる日雇い労働の様な仕事か、
介護、交通誘導や警備員の仕事のように、汗まみれ、ほこりまみれや、夜間勤務など
肉体を提供して、危険と隣り合わせの仕事しかなくなってきます。
ハローワークに行った人はわかりますが、誰も65歳を超えた人が
仕事を探そうとすると、よほどの能力、スキルを持っている人以外は、
つとめられる仕事は限られていることがわかります。
また、生涯サラリーマンを希望する人でも、企業が定めた絶対定年がありますので、現役を続けることができません。
ここに大いなる発想の転換が必要で、社会的要求の満足度の充足と
健康維持が、定年後の最重要課題となってきます。
自分を見つめて、他人と比べない、それがどうしたという観点で、
他人に自分の時間を縛られたり、指図を受ける生活から脱却し、
そのためには、精神的独立と起業すること(ライフワークを見つける)ですが、
自分が最も幸せである状況を作り上げていかなくてはいけません。
健康なら何でもできるを念頭に、
この暑いのに、熱中症にならないように、
日吉の丘公園や、素敵な散歩道を探して、
健康維持の為、車に乗らないで、階段を見たら薬と思って
人生楽しく過ごすために、努力しないといけません。
本日の写真は、周辺環境の散歩道の状況であります。
また、猛暑が戻ってきてしまいました。
お盆明けで、16日からは各企業も、また業務が再開されたようで、
暑いさなかの通勤の様子を映し出す映像も流れております。
横浜に引っ越してから、半年が過ぎてようやく落ち着いてきました。
仕事を辞めて、フリーターになりましたので、
「フーテンの寅さん」のように気楽です。
思わず、寅さんが、タコ社長の従業員に話すように、汗水垂らして働いている人に、
「労働者諸君!今日もお仕事ご苦労様、けっこうけっこう、結構毛だらけ猫灰だらけ、稼ぐに追いつく貧乏は無しか! 今日も暑いが頑張ろう!」と
現役の人達に、声をかけたくなります。
しかし、この、労働者諸君という、かけ声は、昭和の名残であるようで、
いつの間にか、労働者という言葉も消えてしまいました。
よく調べた人もいたもので、
映画の寅さんでも、「労働者諸君」という台詞は、
1987年第38作を持って使われなくなった様です。
この頃を境に、町工場や手作り作業の就業者は激減して、
大企業を頂点にピラミッド構造の、一億、総サラリーマン時代に突入していった様です。
われわれ、古希を過ぎた高齢者軍団の人達は、
この1987年頃の境の年代頃まで、週1日だけの休みで、夜昼無く働いて、
「聞け、万国の労働者!」と唱えて、
安い酒を飲んでは、憂さを晴らし、猛烈に働いて過ごしてきました。
駆け抜けた昭和という時代を過ごした、リタイヤ世代は、
駆けた先に素晴らしい世界があると思わされて走りましたが、
結局何も何もないことがわかり、企業経営を誤った会社は
債権放棄をしたり、倒産や一部上場企業から転落したり、
企業再生リストラという名の下に、多くの人が早期退職を余儀なくされました。
我々の激動世代は、今度は失われた時を取り戻すかのごとく、
自分が、家族が幸せに過ごすために、最後のあがきの次期を迎えております。
まだ、仕事について、現役の人もいますが、
私の友人などは、元の会社から再雇用の依頼が来たとウキウキ話してくれますが、
健康で一番活動できる時間と仕事をして収入があり金銭的ゆとりが在る時間との損益分岐点に在ります。
しかし、時間と健康とお金の損益分岐点は、誰にもわからないのです。
お金があっても、仕事で時間をとられた、失われた時を取り戻すにも健康が大事になります。
健康診断で不具合が見つかったときや体調を崩した時点、癌を宣告された時点で、骨折して動けなくなった時点で、
一挙に活動時間と範囲が狭まってしまいます。
高齢者は、毎日が、いつ病の刃にあたってしまうのか、
ロシアンルーレットの世界に住んでいるのです。
仕事の効用は、他人から見たら役立たない老人かも知れませんが、
社会的に自己が存在しているという満足感です。
退職すると、この社会的承認要求の満足が、仕事を無くすことで
サラリーマンは誰でも、サラリーマンの延長、
自分はいつまでも現役だという考え方から抜け出せない人には、
満足感が極端に欠落してしまうのです。
どんな人でも、多かれ少なかれ、農業従事者を除いて、
サラリーマン生活を定年まで送った人が、次の仕事を選択できる可能性は、歳を重ねるごとに少なくなってきます。
70歳を超えたあたりから、雇用は、単なる日雇い労働の様な仕事か、
介護、交通誘導や警備員の仕事のように、汗まみれ、ほこりまみれや、夜間勤務など
肉体を提供して、危険と隣り合わせの仕事しかなくなってきます。
ハローワークに行った人はわかりますが、誰も65歳を超えた人が
仕事を探そうとすると、よほどの能力、スキルを持っている人以外は、
つとめられる仕事は限られていることがわかります。
また、生涯サラリーマンを希望する人でも、企業が定めた絶対定年がありますので、現役を続けることができません。
ここに大いなる発想の転換が必要で、社会的要求の満足度の充足と
健康維持が、定年後の最重要課題となってきます。
自分を見つめて、他人と比べない、それがどうしたという観点で、
他人に自分の時間を縛られたり、指図を受ける生活から脱却し、
そのためには、精神的独立と起業すること(ライフワークを見つける)ですが、
自分が最も幸せである状況を作り上げていかなくてはいけません。
健康なら何でもできるを念頭に、
この暑いのに、熱中症にならないように、
日吉の丘公園や、素敵な散歩道を探して、
健康維持の為、車に乗らないで、階段を見たら薬と思って
人生楽しく過ごすために、努力しないといけません。
本日の写真は、周辺環境の散歩道の状況であります。
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