奥の細道紀行 その4 松島編 ― 2023/11/20 10:37
今回の旅行では、私にとっては山寺散策が一番でしたが、
かみさんにとっては、松島が一番期待をしていた場所でした。
山寺の駅を予定より1時間も早く電車に乗ることができたので、
松島海岸には、午後3時着くことができました。
本日泊まる予定の大観荘の送迎バスが、なかなか来なかったので、
チェックインは、午後4時になってしまいました。
この送迎バスは時間帯に拠っては、松島海岸から東北本線の松島駅までを巡回していたので、明日から散策する町の様子が大凡わかりました。
宿でチェックインしましたら、豚児がプレゼントしてくれた宿泊券の効力はすごくて、宿は、コーナー角部屋の2方向に松島湾が開けた眺望のある部屋でした。
しかも、ウエルカムドリンクのハーフボトルのシャンペンとオードブルが付いていたのびっくりでした。
長年、親に苦労ばかりかけてきたのに、息子に、「お主なかなかやるな」]と言う気持ちになって、古希、退職の粋な計らいのプレゼントに思わず、ぐっとくるものがありました。
この日は、山寺からの移動で、松島までの所要時間を短縮しようと思って、電車に飛び乗ったので、中途半端な昼食を取ってしまったので、お腹がフルでありましたので、このウエルカムドリンクを早速、飲む気持ちにならなかったので、大浴場に向かいました。
大観荘の露天風呂は、山梨県にある「ほったらかしの湯」を、より
こぎれいにしたような造りで、夕食前に松島湾の夕景を堪能できました。
人が一生懸命働いている夕方にのんびりと湯につかると、今まで遮二無二働いてきた澱がとれて、ここでも命の洗濯ができました。
風呂から上がりましたら、中途半端にとった昼食のもたれもどこかにすっ飛んで、また、豪勢なバイキング夕食の時間となりました。
ここでは、昨日宿泊したホテルより豪華な素材がそろえられており、仙台牛のローストビーフ、松島湾の牡蠣を、焼きガキ、蒸しガキ、牡蠣フライなど、名産品も数多くそろえておりました。
そのため食が一層進み、食べて食べて、また食べて飲んで、海鮮の名物を堪能しました。
食べられない、飲むことができ無くなったら、人生の楽しさは半減以下になってしまいます。
健康であるためには、何でも食べられることは、それだけで幸せな事です。
薬の世話にならず、医者に、あれこれ食べてはいけないという指導もない健康体でいることが理想です。
歳を取ると、食の指導を受け無いないで何でも食べることができることが、どんなに難しいか実感いたします。
後、30年生きることができると仮定して、食事の回数は、概ね30,000回であります。
人は、他の命のいただくことの引き換えに生きていますので、多くの生物、植物に感謝して、健康を維持していく為に、ずっと食べる事が続けられるように日々、三度三度の食事の大切さを考えさせられます。
松島編 脱線しましたが奥の細道紀行は続きます。
かみさんにとっては、松島が一番期待をしていた場所でした。
山寺の駅を予定より1時間も早く電車に乗ることができたので、
松島海岸には、午後3時着くことができました。
本日泊まる予定の大観荘の送迎バスが、なかなか来なかったので、
チェックインは、午後4時になってしまいました。
この送迎バスは時間帯に拠っては、松島海岸から東北本線の松島駅までを巡回していたので、明日から散策する町の様子が大凡わかりました。
宿でチェックインしましたら、豚児がプレゼントしてくれた宿泊券の効力はすごくて、宿は、コーナー角部屋の2方向に松島湾が開けた眺望のある部屋でした。
しかも、ウエルカムドリンクのハーフボトルのシャンペンとオードブルが付いていたのびっくりでした。
長年、親に苦労ばかりかけてきたのに、息子に、「お主なかなかやるな」]と言う気持ちになって、古希、退職の粋な計らいのプレゼントに思わず、ぐっとくるものがありました。
この日は、山寺からの移動で、松島までの所要時間を短縮しようと思って、電車に飛び乗ったので、中途半端な昼食を取ってしまったので、お腹がフルでありましたので、このウエルカムドリンクを早速、飲む気持ちにならなかったので、大浴場に向かいました。
大観荘の露天風呂は、山梨県にある「ほったらかしの湯」を、より
こぎれいにしたような造りで、夕食前に松島湾の夕景を堪能できました。
人が一生懸命働いている夕方にのんびりと湯につかると、今まで遮二無二働いてきた澱がとれて、ここでも命の洗濯ができました。
風呂から上がりましたら、中途半端にとった昼食のもたれもどこかにすっ飛んで、また、豪勢なバイキング夕食の時間となりました。
ここでは、昨日宿泊したホテルより豪華な素材がそろえられており、仙台牛のローストビーフ、松島湾の牡蠣を、焼きガキ、蒸しガキ、牡蠣フライなど、名産品も数多くそろえておりました。
そのため食が一層進み、食べて食べて、また食べて飲んで、海鮮の名物を堪能しました。
食べられない、飲むことができ無くなったら、人生の楽しさは半減以下になってしまいます。
健康であるためには、何でも食べられることは、それだけで幸せな事です。
薬の世話にならず、医者に、あれこれ食べてはいけないという指導もない健康体でいることが理想です。
歳を取ると、食の指導を受け無いないで何でも食べることができることが、どんなに難しいか実感いたします。
後、30年生きることができると仮定して、食事の回数は、概ね30,000回であります。
人は、他の命のいただくことの引き換えに生きていますので、多くの生物、植物に感謝して、健康を維持していく為に、ずっと食べる事が続けられるように日々、三度三度の食事の大切さを考えさせられます。
松島編 脱線しましたが奥の細道紀行は続きます。
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