希望の人、蛇蝎の人2021/03/28 19:20

いろいろな思惑をはらんで、オリンピックの聖火リレーが始まりました。
やっと、世紀のイベントの行動開始の端緒になってよかったです。

2月にコロナに罹った女優の石原さとみさんが、聖火リレーを走るときに、セレモニースピーチで話した内容に感動いたしました。

彼女の話した言葉の抜粋を取り上げると、(森元オリンピック会長のように、全体の意味も理解せず言葉尻だけとらえられてあげつらわれて、)彼女が失脚してしまわないことを祈りますが、下記の内容をでした。

「聖火リレーに対する意見や考えはさまざまであっていいと私は思っています。その決断や判断は間違っていないと私は思います。
 でも1つ思うのは、目標があるということは生きる希望になるんだなと。ランナーの方たちだけではなくて、多くの方が、目標を持って、明るく、前向きに、生命力を高めて生き抜いていってほしいなと心から思います。」

「目標は生きる希望になる」という言葉にとても感動を覚えました。

芸能人が相次いで,聖火リレーをキャンセルする風潮がでて、
それが、世間の声の代表のようにふるまっていますが、
かれらは、個人の利益を優先しているだけで、
蛇蝎のような存在です。

出場しなければ、最初から辞退すべきで、ぎりぎりになって
世間の状況が、コロナに押しつぶされて、
オリンピックが開催できないというムードが作られた始めたとき、
どちらが有利か日和見的に多勢側に回りました。

紅白歌合戦が毎年おこなれていますが、
出場依頼を辞退して、一時期隆盛を誇って、単独ライブ等を行いますが、
自分の人気が多くの人の支えで上がっただけなのに、自分に実力があると錯覚して私利私欲にかられた芸能人は、
(紅白に出るより、自分のライブをしたほうが絶対に儲かりますから)
いつの間にか歌謡界から葬り去られていってしまい、そのような人を何人も見ています。

視聴率が落ちぶれたといっても、紅白歌合戦に出場することは、
世代と時代を代表して選ばれた人ですので、
その人は、個人の実力だけでなく、世間が認めた人なのです。
まさに歌は世につれ、世は歌につれで、
出場される歌手は、自分への成功の誉れを受けることも大事ですが、
年の瀬に人々の一年の労苦をねぎらって、自分を支えてくれた公(世間)にそのお礼を歌で恩返しをしているのです。
自分で企画をしない、要請があって参加したコンサートでは、その企画の意図を理解すべきです。

辞退者には辞退者の論理があるでしょうが、
世界に、夢と希望を届ける公の使命を忘れて、
私事を優先したことは、もうその時点で、
選ばれた人ではなくなり、今後その芸人は、
常に日和見的に、儲けのあるほうに目が向き、
ごく限られて大衆の中で媚をうる人間でしょう。

日本ではなく、世界相手の公に恥をさらけてしまいました。
オリンピック憲章の、「目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励する 
よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である 」ことに対する理念、世界に奉仕する事よりも、私利を優先したのです。
まさに卑しい行為です。

希望という名、また、選ばれた人だけが持つ公としてのアイドルの存在を、逆に、コロナの敗北と挫折と陰鬱さ、
それを隠すように、自分の行動を正義の押し売りのような言動を見せられると何処に次の時代のあこがれと希望が出るのでしょう。

石原さとみさんは、まさに本当の芸能人で、
目標を持って、明るく、前向きに、生命力を高めて生き抜いてほしいとする
メッセンジャーでありました。

希望を与えてくれる女優として、ますますご活躍を祈ります。
「弥栄!!」


PS
本日掲載の写真は、昔務めていた会社の近くの
市ヶ谷から飯田橋に続く桜の土手です。
今日が盛りで、散る桜になる前に散歩できて光栄でした。

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