弥栄! 日日是好日2021/01/10 17:05

今年もよろしくお願いいたします。
ようやく、新年稼働し始めました。

年末も12月24日から1月4日まで冬季休暇でしたが、
時間があるときに限って何もやらないものです。
ブログを継続している方は、その持続力だけでも圧倒されます。
何事もちょっとの差が、何年も経つと取り返しのつかない大きな差になっていってしまうものです。

そういう意味では、自分に書くことで自分にエールを送っている、このブログは、日々の暮らしをだらけさせないためにも意味があります。

あらためて、人は高みを目指せば、仙人に、
谷底に落ちれば、俗人になると、ブログの意味を再確認しています。

本年の最初のブログですが、コロナ禍のことを触れないわけには行けません。

北海道知事や、大阪府の知事が、営業時間短縮や、病床数を確保して動いてそれなりの成果を上げていましたが、
無為無策で過ごしてきた東京都の都知事が、
見事な打っちゃりで、国にコロナの対応が無策ということにして、
自己の無策政策の汚点をすり替えたのは見事としか言いようがありませんでした。
まったく唖然とした行動でしたが、近隣知事も巻き込んだ早業には
自己保身と時流をとらえるすごさだけを多くの人に周知させました。

派閥の狭間で成立した、今の首相は後ろだけがありませんので、
前からも、後からも、また友軍と思った自民党の背後からも
鉄砲で撃たれて、野党も早く退陣させたいので、無策だ無策だと
次の政権を取りたいだけの動きになっています。
誰も、コロナ対策を真剣にしているのではなく、選挙時期を見定めたり、
おぞましく次期政権奪回の方策だけしております。

コロナ対応についても、
医者と経済学者の両面のコメントからでしか判断されておりませんが、
マスコミに登場する人を見れば、いつも同じメンバーで
外部有識者のコメントや対策が一つも出てこないことは恐ろしいことです。

私が「脚気という病気」というブログで紹介したように、
http://kinonkoya.asablo.jp/blog/2019/10/20/9167043

ドイツ医学の流れをくむ東大を頂点とする医学界が、
イギリス医学を学んだ高木兼寛が、脚気は食に起因するといって、
天皇の病気を彼の提言で快癒したにも関わらず、森鴎外等が
その理論を抹殺して、日本陸軍兵を、実に3万余も死に至らせた功罪は大きいです。

医学界が、自分の理論を曲げない抗争下にあるのは自明で、
現在、週刊ポストで、井沢元彦さんも「逆説の日本史」で、
この森鴎外の功罪と脚気の問題を記載しています。

マスコミも、もっといろいろな医学者の意見を収集すべきで、
権威に胡坐をかいた人の言質が本当に正しいのか判断する必要があります。

日露戦争の時の様な、兵隊の犠牲は二度と出してはいけないのです。
こんなに感染爆発が起こったことで、
そろそろ日本というコロナ患者も、第3者のインフォームドコンセントを受ける時期だと感じます。

一番大きな問題は、病院の取り扱いです。
幕末の徳川政権転覆のテロ集団であった、薩長土肥が
天皇を担いで、政権を取ったのですが、昭和40年ごろまでは、
幕府側についた県には、造反させないように病院を作らせなかったことです。

160万床も、世界に関たる日本の入院ベット数を誇る日本ですが、
医療崩壊が叫ばれています。
その3%も満たない対応ベット数しかコロナ患者に対応できるベットが無く、どうしてこのようなことになってしまったのか
もっと、国民が厚生省や医学界にメスを入れるようにしないといけないです。

マスコミが、医療崩壊、医療崩壊と叫ぶたびに、海外に日本の医療体制の脆弱さの恥をさらしています。
日本の医療は、有事に備えてこなかったからで、
アメリカにしても、韓国にしても、その他諸外国は、常に戦争を想定しているので、有事の体制が取れているのです。
また、病院の序列化も大きな要因です。

いま、マスコミも国民も叫ばなくてはいけないことは、
何とか入院のベット数を増やして、コロナ罹患者の自宅待機者を無くし、
コロナ蔓延を防ぐことです。

医者、弁護士、建築家は、欧米では3大プロフェショナルと言われていますが、法学部を卒業した人が、必ずしも弁護士になるのではなく
建築学を学んだ人が、必ずしも建築家になれません。

ところが、医者だけは、医学部を卒業すれば、ほとんど医者になり、
しかも医学大学は、昭和40年を境に大学が増えたといっても
まだ、64校です。
いまだに、幕末の徳川家親藩であった、岩手、福島 栃木 神奈川 奈良 紀州の殿様の居た和歌山は、国立の医学部がありません。

もっと医学部を増やして、医者の数を増やし、
医者が儲かるという仕組みにメスを入れないといけません。

日本の少子化対策は急務ですが、
今の首相が、不妊治療を保険対象にすると声高に宣言したのですが、
医者の儲けが少なくなると、医学界の反発力で、なかなか前に進めません。
この事象一つをとっても、権利と利益に守られた医学界の結束力と政治的圧力がわかります。

さて、もう一つ、有識者に都市計画的見地を有する人および
嘘を見破る統計学の専門家また、若者の行動を正しく導く、
生物学、生殖学的な専門家などを入れないと、国ががたがたになります。
日本は、ヨーロッパや中国などほかの諸外国と違って、
都市の成り立ちが違います。

外部侵入を防ぐ為に、まず城壁で都市を取り囲み、その中に市民を入れた西洋や中国の都市の在り方と
日本のように、城や、お寺、神社を中心にして、城壁がなく、だらだらと集住した日本の都市とは成立の過程に大きな差があります。

都市計画的な見地のない人は、常にコロナ対策でロックダウをしないのはおかしいと言っていますが、
ヨーロッパや中国などは、都市、すなわち城壁を閉ざすだけでいいのですが、日本は、安易にロックダウンなどできません。

彼らの国は、ロックダウンしても、都市居住者は城壁より外に、工場や広大な農地があり、生産流通が滞ることがありません。

また都市居住者は、都市におけるゴミ処理、インフラ整備、物流など、
肉体労働は、都市市民の下層階級や移民がやるので、
リモートワークができやすいのです。
西欧社会の奴隷搾取の構図は、古代ローマから変わることなく連綿と続いています。

ところが、日本は、連坦として広がってしまった都市構造であるので、
都市の中に、生産する工場や、農地もあり、都市そのものが大きな有機体で、欧米的なロックダウンをすれば、すべての機能が止まります。

欧米のような下層階級や移民がいないので、インフラとしての都市は停止となります。

ロックした瞬間から、トイレットペーパーはなくなる、食料もなくなる事態となります。
どの人も平等な社会ですが、肉体労働やインフラ整備に自己犠牲して対応してくれる、建設業でも現場を止めないで、コロナの危険を冒しても建設を続けたり、物を生産したりして対応する日本人が、日本の心があります。
ロックダウン即、都市の死であります。

都市計画の有識者の声を聴いて、物と人の流れを科学的に分析する必要があります。

また日本の食料自給率も37%を割っていますので、都市をロックしたり、
海外からの入国、物の移動を拒否すれば、一挙に物が入ってこないし、生産物を輸出できない構造です。
石油やパルプ、食料が入ってこなければ、移動を制限しても
そく、オイルショックの時代に戻ります。

アメリカや、欧米諸国や、日本を除く多くの国は
生活者レベルによって居住区域が違っていますので、
コロナ犠牲者の多くは、病院に入れない人、
貧民窟のように、生活レベルの低い地域に蔓延しています。
ロックダウンしても、移民や貧困者だけが死んでいるのが実情です。

日本は、罹患者のクラスターをとことん追求しない限り
対策が難しく、いままで保健所の努力でここまで抑え込んでいると思います。

いま、何が正解かわかりませんが、
上から目線で、在宅勤務ができる人の発言だけが、マスコミを扇動し
動かしております。
人種差別、階層化された欧米社会とは違い、
日本はいろいろな人が混在して共生して生きている社会ですから、
ほかの国とは比較ができないのですから、行動心理学的見地でも、対策も急務です。

ロックダウンしても、他の諸外国は軒並み、抑え込みに成功していません。
イギリスなどは、現在壊滅的な状況でまた、ロックダウンを再発進を行いました。

抑え込みに成功しない理由は、種の存続が難しくなった時に、
人の生殖、子孫を残すという、危機的な本能的が若者の行動に拍車をかけております。
この危機的な生存欲求、種の保存要求が、若者を町に繰り出させ、また、見えない形で若者の接触の機会を増大化させ、コロナ蔓延に拍車がかかっています。

日本では、コロナ対策のマナーがいいのですから、
病院を増やし、若者の性欲のはけ口、生存、種の保存能力をうまく誘導していけば、コロナ罹患者は大幅に減っていくと感じております。

激しい、2021年の幕開けですが、
人が皆、安穏平和に過ごすことができ、
世界が、弥やますます、栄えて行くように期待するとともに、
コロナ禍の中でも、日々是好日である、
一日が終わったときによかったと思えるように
今年一年を乗り越えていきたいです。

個人、社会の澱を吐き出す蕩尽について2021/01/17 10:28

作家の浅田次郎氏は、小説家として抜きんでた才能を持っておられる人で、このブログでも度々取り上げてきました。

彼のエッセイの「勇気凛々シリーズ」「オーマイガー!」などの著書を読むと無頼のばくち好きであることがわかります。

作家という職業は、内にこもり、誰とも接しないで
自己を見つめ文章を書いていくので、かなりストレスをためるようです。

栗本慎一郎氏が、「パンツをはいたサル」という著書の中にも、
人間社会もエンタルピーが増大すると、なんでも破壊したくなる、散財したくなる蕩尽理論を展開していますが、
人はワザと過剰なものをつくりだし、それを蕩尽する時に快楽を感じる。
それは積み上げた積み木を壊す時の子供の喜びと同じだと言っています。

浅田氏のギャンブル好きは、まさに、普通の日は外にも出ず、寝ることも惜しんで働いていますので、ストレスを過剰を溜め込み、溜め込まれたもののエネルギーを非日常の日に、ギャンブルという形で一挙に消費し、破壊したい欲求にからるのでしょう。

競馬を除いて、氏の本に、まさにギャンブルそのものを扱った
「カッシーノ」という本がありますが、2巻目の「カッシーノ2!」の
(再び非常識へのいざない)という序文に
老子 第五十七章の言葉を引用している文章に出合いました。

「天下に忌憚(きき)多くして民弥(いよいよ)貧し
民利器多くして国家滋(ますます)昏し(くらし)」 という文章で、
やってはならない禁令が多くなればなるほど、民は貧しくなり、
民が便利な機械を使えば使うほど、社会は暗くなる。

コロナ禍になると、ますます禁令が多くなって、一般庶民は貧しくなっていってしまいますが、現在では、目先の死の恐怖が先だっていますので、私たちの社会が貧しくなっていることが理解できておりません。

いずれは、この覆いかぶさったふたを開けた、開けられてた瞬間に、
心もお金も社会も世知辛くなっていることに気がつくでしょう。

また、パソコンやスマホなど、利器が発達するほどに、
「マスゴミ」による情報操作で、理論誘導され、洗脳されて社会はどんどん暗い方向に進んでいるのも自明です。

さてその社会に蓄積した澱を取り除くのが、
個人では、ギャンブルに走ったり、必要でなくても物を買ってしまう購買衝動であったり、たらふく食べて、リセットしたい欲求でしょう。

これが、国レベルでは、ワールドカップであったり、オリンピックであったり、国家の価値観の違いがエスカレートしていけば、戦争という大蕩尽が起こります。

民意が、自分の思い通りにならないので政治の所為にして、
首相辞めろと辞めろと合掌して、心の憂さを一人の責務に押し付けて
自分の精神を蕩尽をしている間はいいですが、

金がない、おいしいものが食べられない、旅行に行けない、自分の思い通りに国が動かない、職を失った 年金が大幅に削減化に動くなど、ひずみエネルギーをどんどんため込んでしまうと、ほかに蕩尽する手段のない人は、一挙に自殺や暴動に発展します。

これが、アメリカのように国を二分する政争に発展する状況になったり、国家間であったりすると、悲惨さ、鬱積さは、さらに暴動や、戦争に発展してしまっていきます。

今は、今年の7月に開催できないかもしれない、オリンピックも何とか成功させ、祭りや式典など復活させ、心や経済の蕩尽をして、国の心の安定に進めないといけません。

悲壮感が冗長され、現実に国家間の祭典がなくなったとき、人の蓄積したエネルギーをどのように、うまく、吐き出せていくのか、その失敗例は、大正末期、昭和の初期を見れば、歴史の流れは一目瞭然です。

経済崩壊し、貯金封鎖、米騒動、その連鎖での恐慌、一挙に戦争の足音が聞こえてこないようにしないといけません。

TIME IS LIFE2021/01/24 16:27

今日の絵は、板タブを使って書いてみました。
なかなか旨くなれないものです。
コロナで傷みつけられて沈みゆく日本の痛々しさを表現しました。


契約に対する日本人のガードの弱さは、世界で突出しています。
私の所属する建築業界ですら、
今までの慣習で、「請負」という言葉が表しているように、
一旦、工事を請け負ったら、施主という言葉に代表されるように、
仕事を施してもらうので、あるじの言いなりになる風習できました。

もっとも、施主側も、企画から建物完成までを一括で請け負ってくれる
業務発注形態であったので、多少金額は多くてもすべてを委ねることでき、安心して事業を進めることができました。

しかし、世の中が世知辛くなってきて、請負者がもうけすぎとか、
使途不明金が多いなどの声が、施主という一個人の発注から、
株式という、多くの出資者が発注するようになると、説明責任が発生して、この日本の古くからの慣習は崩壊しました。

西洋的な、契約形態に、発注形態の変化で変わっていきましたが、
発注者と施工者は対等だといっても、まだまだ、仕事をもらう立場は弱く、
ましてや、工事途中の設計変更はもとより、
工事金額の増額をスムーズに受領するのは、
建物に使う材料が一物一価でなく、
工事にかける手間は、なかなか数字としてあらわすことができないので、
至難のことです。
また、日本の企業は永続性を基盤としておりますので、もちつもたれるの関係を継続するために無理がきく社会です。

これとは別に、募集型旅行契約のような場合は、
新聞に掲載している内容がすべてで、
細かな字で記載されている事項が、契約履行のすべてですので、
一旦契約した場合、一方的に、企画側の契約条項に縛られて動かざるを得ません。

旅行慣れしていない人は、良くパンフレットを読んでいないので、
旅行先でこんなはずではなかったとか、
観光地は素通りされたとか、外から見るだけだったとか、
食事はひどかった、ホテルはひどいとか、トランジットでひどい目にあったなどと、契約条項をよく見ない自分の責任であるのに、旅行会社に文句を言っている人が多いです。

さて、日本人のオリンピックの開催に対する発言を見るに、
まだまだ、日本の工事請負型の契約の甘さ、寛容さが、そのままオリンピックに当てはめられると思っている人が多いのは、残念であり、
アングロサクソン系の人と契約を経験していないために、トンチンカンなコメントでマスゴミをにぎわせております。

まず五輪開催の決定権はIOCにある。これが大前提で日本には何の決定権もないのが、契約です。
募集型旅行型契約でいえば、この条件で契約を結んでしまっているのです。
キャンセル期間が過ぎた場合、旅行代金は全額、いかなる場合でも申込者が支払わなくてはいけないように、
日本が、コロナでギブアップをしても、旅行前に急に熱が出て
旅行に参加できない程度のことで、

五輪を主催するIOCに対し、日本は場所を提供する立場を熱のために開催できないと言えば、
場所を貸す契約義務を果たさないのだから当然、莫大な賠償金がIOCから請求されます。」

このところIOCは、絶対的に開催を主張しておりますが、
IOC自身が中止を決断した場合は、「規約にはIOCが中止を判断する選択肢もある」と書かれていますので、
したがって、日本への違約金は払う必要はないのです。

開催都市契約の第66条に「IOCが本大会の中止を決めた場合」として「すべての損害賠償およびその他の利用可能な権利や救済を請求するIOCの権利を害することなく、即時に本契約を解除する権利を有する」と明記されています。

IOCが危惧する一点は、IOCの重要な基盤となっている米テレビ局の放映権料(1大会約1200億円)を補填する金額が請求される可能で、
この金額だけは、IOCが開催解除した場合に発生します。
このため、絶対開催、無観客でも開催を声高に叫ぶのです。

日本が、独自に開催を断念した場合は、契約不履行に対する賠償額及び、アメリカのテレビ放映権料、

また、アングロサクソン系はずるいので、大会参加準備した、ユニフォーム代金や、地元テレビの放映権料など、
各国がそれぞれに、日本が場所の提供ができない場合の損害賠償を請求してきます。
参加国、各国が訴訟の対象となる可能性があります。
コロナで財政が弱っているので、余計にそのような動きになります。

英国が、日本の開催を中断のフェイクニュースを出したのは、日本をその方向に誘導させ、英国経済が弱ったところに、莫大な請求権を行使しようともくろんでいます。
彼らの動きは、インド統治時代のように狡猾です。

日本はお金を持っていることが、世界中の人が知っていますので、これ見よがしに、言ったもんが得という恥のない世界ですから、
コスト的には、訴訟も含めた賠償額は天文学的な数字になるでしょう。

世界の金せびりの思惑と、コロナに絶対に負けてはいけないのです。
どうしたら開催できるのか、真剣に考えるべきです。

また、日本人は貧しく育ってきた国なので、
時間はお金として、「TIME IS MONEY」損得勘定だけの概念でとらえて来ていますが、
外交官、物理学者など多方面で活躍したベンジャミン・フランクリンは
この言葉を使ったときに、「機会損失」という意味で使っており、
無意味な議論はどんどん機会を損失していくだけです。

ここは一歩超越して、
「TIME IS LIFE」
人生は、時間そのものです。
その時 やらなかったことが後悔を生み、
その時やらなったばかりに、子供との貴重な成長過程を楽しめなかったり、その時、決断しなかったばかりに海外旅行に行けないなど、
その時その時のチャンスを生かさないと、一生不毛な人生を歩んでしまいます。

今回のようなピンチは、逆に大いなるチャンスです。
オリンピックのような、片務契約のような不利な、
募集型旅行契約書にハンコを押してしまったのですから、
アングロサクソン系の契約がどういうものなのかを理解し、機会損失をしないように、前に進め、ないといけません。

時間は取り返しのつかない人生そのものです。

目標とする師匠がいることが人生を豊かに2021/01/31 15:38

多くの人は、目標とする師匠の様に、なろうなろうと思いつつも、実際その道に入ろうとすると、師と自分の差が歴然として、彼我の差の違いを思い知らせれます。

この年になっても、師匠という人がいる人は幸せで、その目標に向かって進むことは人生をより厚みのあるものにします。

ヒノキになることを夢見ても、どうしても「あすなろ」で終わる人がほとんどです。
それでも師を仰ぎ見、一歩でも追いつけるように自歩を前に進めることは大切です。

このブログでは、以前、外山滋比古さんの生き方を参考にしている話をしました。

「絵で表現」をしている人で目標としている人は、
イラストレーターの永沢まことさんと、画家、絵本作家の安野光雅さんと、同じく絵本作家のいわむらかずおさんです。

子供が生まれ、父親を認識するようになった時に、子供のために
「旅の絵本」という安野光雅さんのシリーズ本を買ったのがきっかけで、
師の作風に惚れ込み、安野さんの画風をまねようとしてきました。

1026年生まれで、95歳でしたが、昨年12月24日に天寿を全うされました。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思っています。

本日の掲載写真は、2011年に山川出版社から2200円で発売された、A4サイズをはみ出した大きさの本ですが、多くの著名人が寄せ書きをし、また、師の今まで残した作品のエッセンスを掲載した、大変お得な集大成本です。手に取られることを希望します。

また、自分は、95歳の時、何を残しているでしょうか?
まだまだ、修行の身であることを感じております。