間の抜けた社会2020/11/29 19:48

本日の写真は、青森駅観光物産館から、青函連絡船をみた写真です。

NHKの連続テレビ小説「エール」が終わってしまいました。
このような良質な番組が、コロナの影響で10回余も短縮されてしまったとかで、
何を焦ったのか、役所のように融通の効かないNHKが愚行に走ったと思います。

古関裕而氏の音楽を通して、改めて昭和の時代の貧しくても、心が豊かな時代を思い出させていただきました。
今回の連続テレビ小説は、そのタイトル通り、それぞれの人に「エール」を送るという
人世賛歌がテーマでした。

このドラマの根底は、音楽ですが、
音楽で言う、休符、すなわち「間」および出会いの大切さを教えてもらったと思います。

現在、人の心を打つような音楽や、話題に乏しいのは、
この「間」の取り方が悪いからだと思います。
また、「間」がないので濃密な出会い、体験に遭遇できません。

NHKが、この「エール」の放映を短縮してしまったことで、
多くの「間」がなくなってしまい、ドラマも最後のひと月程度は、殺伐と進捗するだけになってしまいました。
ドラマを短縮し、事実を早送りするのでは、その「間」と出会いの余韻が楽しめないです。
このような、放映手段をとったことが、実に間抜けで、これでは
皆が、NHKの視聴料を払いたくなくなるのもうなずけます。

東京オリンピックマーチの作曲にしても、
古賀政男こと、木枯正人が、主人公がいつまでも曲が書けない苦悩を、
「心で音楽を楽しんでいるのか、最後のところで納得する部分が出なくて苦しんでいるか」という言葉を発するのですが、
短縮されない、実際の放映では下記のようだったようです。

桜をみて、テーマの導入部を思いつき、
最後の4小節は、君が代の こけの「むーすーまーで」の2小節分のメロディを、
4小節にしてマーチとして締めくくって海外の選手団に日本との出会いを表現していく過程を演じる予定だったようですが、
これが、急にポンと途中を抜かし、曲が出たようでは、ドラマは間抜けです。

いま、世の中が、殺伐としているのは 「間」がないことです。

メールが来たら、すぐ返さなくてはいけないとか、
誰にも分る文章で、短く発信しなくてはいけないとか、
すべてが、合目的に動いているからです。

ゆっくり考えたり、余韻に浸ることもなく、
今の音楽のように、常にあわただしく動いて、感覚だけが反射神経のように
反応すればよいようになってきてしまいました。
音楽がすでに変容しているのですから、それに付随する歌詞は、語るに値せず、
詩を味わうところには到底、到達できません。
ましてや、今の若者は間抜けですので、「間」を楽しめる、文通での結婚など、現代社会に生きる若者は理解できないでしょう。


楽譜を見て弾いても、この歳になるまで、
「休符を弾く」という概念がつかめないでいました。

ピアノを習い、ブラスバンドをやってクラリネットを吹いて、
その後、エレキギター フルート ウクレレなど弾いてきて、50年余も、クラッシックギターを弾いてきましたが、
6年前にフラメンコギターを、先生について本格的に習うまで、「間」を形作る休符の意味がわかりませんでした。

休符は、音の出ない音であって、休符をしっかり弾くことで、そこに音楽に対するゆとりと、表現がでて、それが、人を感動に導き出していきます。

落ちろ、落ちろ どん底まで落ちろ どん底の先に希望が・・
出会いが、絶望の淵に立たされた人を、時間や、距離という「間」を置くことで、救いをも表現されていました。

このドラマは、出会いと、「間」の余韻を楽しませていただきました。
実に いい番組でした。

今日は、古関氏の「ひるのいこい」を聞きながら書いていました。
https://www.youtube.com/watch?v=uzZnl4t8FsM

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kinonkoya.asablo.jp/blog/2020/11/29/9321781/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。