発想を変えてみる2020/10/18 19:28

本日の写真は、昨年訪問した、北欧ヘルシンキの石の教会(テンペリアウキオ教会)です。
半地下にして、岩肌をそのまま内部空間の仕上げにしております。


今年の天気の移りかわりは激しいです。
夏が終わったと思ったら一挙に冬の気温になってきてしまい、
慌てて、夏ものと冬ものを交換する衣替えで、
季節の移り変わりを楽しむゆとりはありませんでした。

あと、1~2年でサラリーマン生活もおさらばですが、
いや、世の中の動きでは、いつ何時働かなくてよいという通告が来るかわかりません。

夏のスーツから秋冬用のスーツに変える更衣する年中作業も
あと残りが、限られた回数かと思うと、
サラリーマンの戦闘服にもある種の愛着がでます。

いま、アフターコロナとして、
コロナ禍が過ぎ去った後の世の中について、
多くの提案が行われたり、方向性を探っています。

一度壊れたものは、なかなか元には戻らないのですから、
この世の中の激変は、もうノーマルなこととしてとらえることが
次を踏み出す一歩だと考えます。

安全に経済活動を元に戻す、
安全にオリンピックを開催するというような、国としての大命題を抱えなくても
普通の人にとっては、自粛から一歩踏み出し、
安全に旅行に行く方法を探る、安全に食事やお酒を飲みに行く、
安全にコンサートに行くなど、
コロナ禍ありきで、ものを考えていく頭の切り替えが必要です。
他人にすがり自粛解除を待っていては、何年先になるかわかりません。

石の教会のように、石をそのまま内部空間の仕上げに利用する考え方のような発想です。、

誰もわからないことを、考えることは
自由度が大きいだけに、リスクもあり、
大変さもありますが、楽しいことです。

実際、罹患患者数は毎日報道するのですが、罹患要因については
マスコミが報道しておりません。報道すると不利益を被る人が出てくるので秘匿されています。この秘匿が、さらに恐怖をあおっているのです。
(ロッテのコロナ罹患選手も一部の報道では、札幌すすきの夜の街に繰り出したようです。)

一つ言えるのは、世の中どんなに進歩(?)ハイテク化しても
人は、生身の人間の息遣いと、ぬくもり 交流を追い求めるものだということ
そこに、様々なドラマが生まれるということは不変です。

いつでも会えないということが、一期一会を大切に思うようになります。