好奇心があがきを2020/09/19 11:38

日本人は何処から来たのかという話は、
日本の教育では、大陸移動説と、南方移動説とがあって、
大陸移動説では、樺太から渡ってきた民族のモンゴロイドと
韓国経由できた、朝鮮系の民族
南方から来た民族に分かれています。
大きくは、6つの源流から日本民族は形成されているようです。

この中で、移動してきたのではなく、「倭人」はもともと日本に存在したとする説もあります。
いずれも3万8000年前の話ですから、いろいろな説があっていいのです。
古代ロマンを考察するのは、考古学が好きな人にはたまらないテーマでしょう。

世界4大文明というのがあるということを歴史の教科書で、昔教えられました。
古い順番でいけば、メソポタミア文明 エジプト文明 インダス文明 中国文明であるといわれております。
中国文明は、これも中国が勝手に、政治家でジャーナリストであった梁啓超が追加した事項で、歴史も、宗教、国家権力の行使で、いかようにも変えられております。

メソポタミア文明の始まりは、紀元前5500年ごろと言われ、そのころに
すでに楔型文字が成立していて、文明の形態をとっておりました。

青森に在る、「山内丸山遺跡」ですが、ここにも集落があり、すでに縄文ポジェットが作れれるぐらいの文明が成立していたのです。

ここの集落に住んでいた人は、もともと日本に住んできた「倭人」かどうかは、定かではありません。
しかし、日本人は、文字を持たない民族であったので、
メソポタミア文明の時代に、すでに多くの土器や矢じり、装飾品や集落が発見されても、文明という位置づけをされることができません。

紀元前4500年ごろには、エジプトではクフ王がピラミッドを建設しているのですから、
文字の力は、王の民族統治の正当性をあらわし、王の民族統治に重要であったかをものがります。
秦が中国を統一したのが、紀元前220年です。

今年、コロナ禍のなか、松尾芭蕉の奥の細道の序文ではありませんが
「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、」の心境に陥り
急遽、青森に行きたくなって、奥入瀬渓流散策 青森美術館見学
そして、山内丸山遺跡見学の3つのテーマで、訪問してきました。

本当は、天孫降臨の九州の高千穂に行って、
古代ロマンと神楽を楽しむ企画をしておりました。
しかしコロナ騒ぎの真っ最中の5月でしたので、飛行機も飛ばす、泣く泣く諦めました。
このテーマは、また、次回に譲ることにしましょう。

文字が中国から7世紀に伝来しましたが、
それまで、表記することができなかった日本人が、
万葉集や女流文学に至るまで、一挙に文字文化が花開くのです。

庶民の兵隊から女性まで、万葉集を見ればわかるように、、
防人の歌や生活の歌や、恋愛まで記載できた
日本のそれまでのポテンシャルは、文字を持たなかったばかりに
歴史の中では取り上げられてきません。

文字を持っていた国や地域でも、戦争の英雄をたたえたり、自らの民族の優位性を唱えるようなものしかなく、
支配階級でない、一般の庶民や女性まで、自由に物事を書いたり歌ったりできる民族はありません。

アーノルド・トインビーが、日本は独自の文明を確立していたとする説は
未開の土人はキリスト教によって、目覚めさせないといけないとするキリスト史観からの発想でありますが、日本の連綿と続く古代文明のポテンシャルの高さをありえないとする、脅威や、驚愕な目でみた裏付けでしょう。

次回予定の高千穂の次は何処に行きましょうか?
好奇心は、恐怖を超越します。「go to キャンペーン」ががあろうがなかろうが、関係ありません。

年を取ったら、自分の「生」に従順でないといけません。
体が丈夫でも、心が老いては動けません。
心は丈夫でも、体が老いても動けません。
すべてはパーです。