ブランクは最高の飛翔前2016/07/03 19:46

先週末は、大学のギター部の同窓会でした。

西暦2000年頃から10年程度毎年開催されていた、この同窓会もマン年幹事の転勤に伴って一時期消滅いたしました。

3年前から、私の4歳年上の先輩からの声がけで、また、毎年開催するようになりました。

同窓会が持続するには、一人の人の情熱と、マンネリ化しないたゆまぬ努力が必要ですが、現在は、先輩の情熱と、単に昔話をする場でなく、アンサンブルへの挑戦や演奏を皆の前で披露する刺激で会は盛り上げっています。

この同窓会があるから、また、人前でギター演奏をしようと思うし、そのために練習をするので、ほぼ毎年開催されるこの会は貴重です。

2,000年頃に開催された、同窓会では、私の後輩がギターの先生に正式についており、飛躍的にギターが上達したのを目の当たりにし、彼我の差を歴然と見せつけられて、愕然としました。

その演奏を見て、ダラダラ続けていた私のギターの趣味に活が入りました。弾かねばならずと・・

また、3年前に行われた同窓会では、30年ぶりに登場した後輩が、クラシックからフラメンコギターに転身していました。
彼は、大学時代とはうってかわって、プロ並みの旨さで、実際地方都市のフラメンコサークルで活躍しており、そのサークルで踊っていた人を奥さんにしていました。
多くの観客や、失敗を許されない踊り伴奏の世界で揉まれていたので、さっそうとフラメンコギターを弾くのに触れて、大きな触発をうけました。

今回も、自分の演奏は、むちゃくちゃでしたが、演奏する前の練習に集中したプロセスや、なかなか楽譜を暗記することができず苦労したことなど、ギターの練習過程が、それなりに現れて、成果は在りました。

また、外部からの招待演奏で来ていただいたギターアンサンブルの一員の演奏が、同窓会の部員のレベルを超越した演奏で在りました。

その演奏に触れて驚くと同時に、その人が「クラシックギターは、弦を震わせてはダメで、ギターの胴を鳴らすことに神経を使う様に演奏する」と、話していた言葉は強烈でした。

大学という4年という短い学生時代の中で夢中になったていた趣味、ここでは、昔ギターを弾くことをやめてしまったりして、もっぱら聴く側になってしまった人もいますし、ブランクが開きすぎて、ギターを弾けないという人がいます。

このブランクという言葉、概念が、人をして、後ろ向きに捉えがちでありますが、このブランクこそ、凄い効力を持っています。

物事を前向きに考えていけば、ブランク(時間の空白)は、昔、身につけていた悪い癖を忘れさせてくれますので、習いごとを始めるには好都合です。

年を重ねると、何が、その物事のツボがどこにあるかわかります。
先生について、ゼロから始めることで重要な事は、昔の悪い癖が無いことです。まっさらな気持ちが、上達への近道をなると感じます。

思い立って、先生について教えを請うた時。自分には弾くときに、指の進行(運指)に癖がありましたが、この癖を治すのにかなりな時間が必要でした。
初心者やブランクがある人ほど、先生の教えを真似ることが容易であり上達は早いです。

昔かじった趣味を振り返って、一度でもその趣味にのめり込んだ事のあるモノは、ブランクを経ても、直ぐ、昔のレベルまで到達します。

絵とか陶芸は、誰もが、小さいころに、スケッチをさせられたり、粘土遊びをしていますので、ブランクがあっても、年をとっても、大成する人が多いです。
その点、楽器は、昔触っていなかった人は、ゼロから始めますので、ある程度まで到達するのは難しいかもしれません。

私の知っている友人は、1級船舶免許を取得して、外洋にまで出帆していく人もいますし、日本の技術を伝承しようと、木工の伝統工芸士を目指している人がいたり、弓道をやっていた人が、趣味で馬に乗ることを学生時代に覚えた人がおり、定年を迎えてから、弓道と馬術の両方を満たすことのできる「やぶさめ」を趣味にしている人もいます。

どんな趣味に没頭するか、熱中するものは何か、人生を豊かにするのは、思い立った日が、一番若いのですから、挑戦しないわけには行けません。

まさにブランクは、飛翔への滑走路です。

百段階段2016/07/10 19:43



目黒雅叙園 百段階段 
西元祐貴 展示

アフターヌーンティー満喫2016/07/10 19:44

目黒雅叙園で開催されている、イベントに行ってきました。

目黒雅叙園は、と言うより、どの結婚式も簡素になってから、
エレクトーン奏者をつけて行う結婚式の形式がなくなりました。
ここでの妻の仕事がなくなってから、雅叙園には
十五年程度いったことの無い場所でした。

たまたま、かみさんが、朝のTV放送で見つけた
「和のあかり × 百段階段」というイベントで、
目黒雅叙園が、現在の様に改修、増築する前に使われていた古い家屋の階段上の和室の宴会場を使って、
青森のねぶた祭りの山車を展示したり、
とても若い作家ですが、墨絵アーティストとして世界的に名を覇している、西元祐貴氏の作品が展示されていたり、
島根県の石見神楽の展示など、
日本の文化財をディスプレイしたものです。

百段階段を、実は99段しかなかったのですが、登っていく途中の和室の会場毎に、いろいろな日本の和をモチーフにした展示物をみて、日本の伝統の幅広さを感じました。

これが西洋の古い建物の展示であったなら、地域や地方の独自の文化は、宗教によって抹殺され生育していませんので、
どこの国、どこの美術館に行っても、すべてが、キリスト生誕や、マリヤに関わるものや、キリスト迫害の代わり映えのしない展示物がおおいです。

一方、日本の文化は、八百万でありますので、地方、地域、それぞれに独自に文化、伝統が醸成され、豊かな情景を醸し出しています。

さて、花より団子、展示のイベントを見たあとは、お腹がすいたり、甘いモノを食べたいものです。

雅叙園には、新しく新築された建物内に、飲食する場所が幾つかありますが、その中の、「パンドラ」という、喫茶ロビーにて、食事をすることにいたしました。

前々から、一度で良いので、アフタヌーンティーを堪能してみたいと所望していたのですが、なんと、ここの「パンドラ」では、2100円で、飲み物もついて提供しているではありませんか!

昼飯を食べずに、この昼から甘いモノを食べるという禁断のパンドラの箱を開けるべく、サンドイッチやケーキが積まれた、アフタヌーンティーを食することに決めました。

滝の流れる庭園を眺めながら、コーヒーを4杯もおかわりして、
昼食時でしたが、スィートの甘さに浸りながら、まったりとした、優雅な時間を過ごすことができました。

暇に潰されない方策2016/07/18 18:57

ここ3連休は、とにかく暑い日でした。
特に今日は、酷暑と謂れるように、家の中にいても、うだるような暑さでした。

会社の創立記念日ということで、金曜日も休みでしたので、私の場合、4連休でした。

初日は、ギターのレッスンにでかけ、次の日は、エルビスさんにお台場に連れて行ってもらい、昨日は、子供夫婦が夕食を食べに来る日でしたので、デパートに夕食の買い出しに行って、今日はぐったりとしておりました。

4日間でも、休みが続くと旅行と違って、おりからの暑さも重なり、家でぐたぐたしていると、暇に潰されてくるような感じがするのは、私だけなのでしょうか?

これが、あと1~2年後に迫った、定年を迎えたら、サンデー毎日で、
閑暇の日々になるのかと、創造致しますと、その未知なる生活を思い描くとゾッとします。

暇になるのを、現在の心境では、楽しみとともに、もっとも恐ろしいことに感じています。

暇は、潰すもので、暇を潰せない人は、暇に潰されてしまうのでは無いかと感じております。
テレビだけ見て余生を送る生活など、避けなくては行けません。

人間の行為には、[生産]と[消費]という、2つの側面がありますが、
定年を迎えて、会社勤めを終えた後、次にやることのない人は、生産する行為がなくなりますので、消費するだけの生活に埋没してしまいます。

そして、この[消費]する力は、蓄えがなく、年金だけを日々の生活資金の糧にする生活ですと、旅行や、音楽会や、街の散策、山登りなど、人生を実り豊かにする、余分なものにお金を費やすことができなくなります。

つまり、生命体を維持するだけとなり、消費の楽しみというものがなくなります。その結果、老後にすることがない状態に嵌まり,、挙げ句の果て、暇に潰されてしまいます。

暇に潰されるのは、定年後に、会社を離れたあとに、会社以外に生産する手段を持っていない人や、ゆとり資金がなく、老後の楽しみの消費に、お金を回すことができないひとで、多くの人は、多かれ少なかれ、両者の持ち分、ゆとりが無いので、暇つぶしに苦慮しています。

野望 出世欲が招く、「青春の蹉跌」でなく、この「老人の蹉跌」に、嵌らないように、生産、消費に意欲的でなくては行けません。

また、エルビスさんのハリマオのDVD購入秘話のように、
http://plaza.rakuten.co.jp/uncleelvis/diary/201607150000/
生産行為や、消費行動について、妻にも馬鹿にされても、ぶれない精神と、孤独に耐える力も、同時に鍛えて行かないといけないと感じております。

ポケモンGO2016/07/24 18:43

ポケモンGOがついに日本に上陸いたしました。

幸い(?)私の格安スマホには、ダウンロードしても動きませんので、入れたと同時に多くの時間を取られなくてすんでいます。

私の住んでいる近くの恩賜公園では、ポケモンが多く出現するようで、スマホを持った人が、うろうろして、いつもの落ち着いた公園風景とは違っています。

土曜日の日経新聞に、このソフトの開発者のジョアン・ハンケ氏に対して行ったインタビュー記事が掲載されていました。

彼が話すには、現代社会は人々が、あまりに家にこもっている時間が長い。小さな画面で誰とも話さず、地域のコニュニティにも参加しないという病的状態を脱却させ、健全なまちづくりにす参加させるために、人々を外にだすことを目的としたと話しておりました。

確かに、地域地縁もなくなってしまった現代社会に対して一助を与えるこのコンセプトは素晴らしいもであります。

これが、商業主義と合体した場合は、いつ間にか、個人を催眠術の様に、誘導していく危険な媒体となります。

現に、大量の人が、群衆となり、一つの目的地に集合する。また、特定の建物に誘導する、誘導させられる。

これが顕著なのは、任天堂がマクドナルドと業務提携したために、日本では潰れかけているマクドナルドを、立て直すために意図的に、マクドナルドで多くのイベントや、ポケモンを発生さえるなど、知らずの間に、マクドナルドを買わせるように誘導されてしまう、凶器となっています。

昔、テレビのコマーシャルで、目にも止まらない速さで、特定の製品を謳ったテロップを流して、その商品の売上が上がるように操作された事例がありました。
実際、実証試験で、意識に上らないテロップを流しても、その流された商品をより、人間は買ってしまう傾向が出ました。

現在では、人間の無意識の中を操作させる、暗喩のテロップの放映は禁じられていますが、この「ポケモンGO」も、どのように、群衆を操作し、商業利益、売上げに寄与させるか、使いみちを知っている人達は、虎視眈々と、暗喩の操作を行ない、スマホにソフトを入れた人間たちを餌食にしようとしています。
全く、静かに、声も出さず、さとられず・・・

夏の怪談より恐ろしい社会現象が勃発します。
歩きスマホで、意識まで取られないようにしましょう。