12月の楽しみ2015/12/06 20:10

アイスクリームが好きで、よく食べます。
小さいころ、食べることのできなかった反動か、パフェはとりわけ目がありません。

タカノフルーツパーラーのパフェとか、東京ミッドタウンのサントリー美術館に併設されている、「加賀麩 不室屋」のパフェとか、気軽に行ける店では、nana's green teaの抹茶ソフトクリームパフェとか、六本木ヒルズの近くに在る、コールドストーンのクリエーションメニューなど、パフェの美味しい店が東京には点在しています。

自宅でも、安いみつ豆の缶詰を沢山購入して、チェーン店のショッピングセンターが扱っている、1kgや500gのプラスチック容器入りの安いアイスを置いてあり、都度、黒蜜をかけて食べたりしています。

12月に入ると、いつも楽しみにしている、株の配当と、株主優待券が送られてきます。
昨年から、購入したミニストップの株主優待は、100株保有で、実に、ソフトクリームの優待券が、半期で5枚ついてきますが、このソフトクリームが実に美味しいのであります。200株所有すれば、コーヒー券もついてきます。
バニラも秀逸ですが、季節限定の和栗モンブランミックスソフトもこれまた、とても美味しくて、コンビニとバカにしてはいけなくて、レディーボーデンを凌駕するような味であります。

このように、有意義な株主優待をもらえるのは、実に嬉しいものです。

株主優待には、食料品の他にも、いろいろあります。
特にお得感のある、株主優待は、以前100株 8万で購入した、三越伊勢丹の株です。
現在は、株価が17万円程度に高騰しておりますが、この会社の優待は、割引還元カードで、100株の投資で、半期15万円までの購入品に対して、10%割引をしてもらえるカードです。
通常のデパートカードの場合も、10%の割引をしてもらえますが、こちらは、現金で還元してくれることと、なんといってもバーゲン品も10%還元が在ることです。

値段が100円の食料品から、すべて割り引いてもらえるし、このカードで、デパートが開催する、すべての催し物の入場券がただになります。
三越も伊勢丹も使え、しかも配当がついてくるという、三拍子そろった優待券であります。

ソフトクリームを食べたり、正月の食品の割引還元をしてもらったり、12月は楽しみがあります。

TAB譜2015/12/13 20:53

今年は、28日の月曜日を出社しないで、年末が25日締めの会社も多くて、それだけ、気分が忙しい感じがします。

今週を無事乗り越えれば、翌週、23日は恒例のお正月のお餅をついて、それから一挙に新年への準備を開始します。

今年は、プロジェクションマッピングが、広まった為か、日本橋の三越でも、時間を決めて、吹き抜けの空間で投影しているようです。
我が家も、来週末は、スカイツリーのプロジェクションマッピングを見に行く予定です。

プロジェクションマッピングは、昔の言葉で引用すれば、幻灯機で壁にスライドを写したようなもので、動画まで、対照とする壁や、人体や、タワーなどに映し出せる技術のようです。

つい最近までは、プロジェクターで、壁面に、2次元的な映像を写すのがいつの間にか3次元に拡大して、その技術進歩は驚きます。

さて、音楽界、特にギターの世界では、数年前から、TAB譜が広まってきて、最近では、このTAB表記だけの楽譜が出版されるようになってしまいました。
普通の楽譜で育ったものにとっては、とても読みにくい楽譜です。

これが、現在の若者、特に楽譜が読めない演奏者には、ギターの弦のどのフレットに、運指をおいて、弾けばよいかを示しているので、楽譜を読めない人にとっては、とても重宝されているようです。

もっとも、ギターは、ピアノのように、ある音をだすのに、その音しか鍵盤がない楽器は迷わないのですが、どの弦で出すのが良いかいろいろなポジションで音をだすことができる楽器は、このTAB譜で指定されるのは、作曲者の意図が正確に伝わるようです。

現代記譜法に慣れていない者にとって、このTAB譜だけの楽譜は、その楽譜を弾くのに四苦八苦です。

わざわざ、TAB譜を、通常記譜に変更しなくてはなりません。
フラメンコギターは、あまり楽譜が無いので、TAB譜の変換は、必須です。
年末のこの忙しい時期に。
直ぐ、山の神が家事を手伝ってと、発する言葉の間隙をぬって、コツコツ休日を利用して変換する作業は、苦行です。

味覚について2015/12/20 20:34

ミシュランで、一つ星を獲得した「蔦」ラーメン店が、近隣のクレームで閉店するようです。

もともと日本人の味覚は、世界で一番すぐれているので、フランス人に、格付けしてもらわなくても、良いのです。

これが、この処,軽薄になった日本人は、格付けされたことで、飛びついて、可哀想に、まじめにやっていたラーメン店を壊してしまいました。

白人優位のおせっかい、フランス料理が最高と自負するフランス人が、自国の料理が一番すぐれている事を誇示しよとしたミシュラン・ガイドですが、今では、ミシュランも東京のガイドだけは、その認定数でも、本国を凌ぐ勢いになっていますが、日本人の味覚の鋭さからすれば、当然のことです。

実際、海外旅行、特にヨーロッパに行ってみればわかることですが、キリスト教文化に基づいているので、どの国の教会も同じテイストで、芸術の嗜好もそれに引きずられて単一で、直ぐ飽いてしまうように、どの国に行っても、ガーリック、オリーブオイル、チーズ、肉、ワインと素材も香辛料同じで、味覚の複雑さに出会うことは稀であります。

これが、日本では、地方地方で催される祭りに代表されるように、地方地方で、独特の祭り文化があり、しかも、祭りその物が、季節ごとに変化があります。
これと同じように、料理についても、一流の店でなくても、西洋の一流店を凌ぐ料理を提供できる土壌があり、しかも、土地、季節で、提供されるものが違うという、実に深い文化的背景を持っています。

今年も年末は、多くの忘年会や慰労会がありましたが、その場でも料理の話題、お酒の話題がのぼりました。

居酒屋で提供される生ビールのまずさに、発泡酒を混ぜてあることが直ぐわかったりして、日本人の舌はごまかせないので、そのような店は二度と行かないようになります。

先週の話題は、サントリーのプレミアム・モルツの味が変わった話題が出ました。

ビール好きの私も、昨今このビールのテイストが変わってまずくなったので買わなくなっていましたが、皆同じことを話しているので、やっぱりそうかと判明しました。

サントリーは、モルツビールをいう、素晴らしい製品が、プレミアム・モルツが発売される前にあったのですが、3.11の大震災のドサクサに便乗して、モルツビールの味を変えました。

案の定、日本人の舌はごまかせないので、1~2年で発売をやめて、また、ビールの缶の表層を変えて、新しいビールを発売しましたが、往年の味を知っている人は、一口のんだだけで終わりです。

これと同じようなことは、明治の板チョコですが、昔は銀紙の封を開けた瞬間に醸しだされる、ほろ苦い芳香が、また、そのなんともいえない、西洋の憧憬の味がしましたが、この板チョコも、表層を変え、味を落としたので、ちっとも売れなくなりました。
この会社は、前にも、ガムの味を変えてまずくしたので、私が投書しましたら、やはり表層を変えて、再販売になりました。

いつまでも売れ続ける良い製品があります。
日本人の味覚の鋭さは、世界に誇れる文化です。その味覚の鋭さを破壊する製品は、直ぐ淘汰されて行きますので、健全に日本の食の文化的高さは保たれていると思います。

年齢の壁は2015/12/27 20:34

(本日、掲載の絵は、CDジャケットのパクリです。来年は、このような絵も描いて行きたいです。)

本屋の新刊コーナーに、ドキッとするタイトル「終わった人」などという、定年を扱った小説が、内館牧子の執筆で、出版されていました。

サラリーマンなら、誰にも、いずれはやってくる定年という文字に、60歳を過ぎた人達は一応に、心もドキッとさせられます。

本を、なんとか売ろうとして、意図的につけた、定年、イコール「終わった人」という捉え方をあえてした販売戦略。

このタイトルをつけた編集者の作為や悪意に、これは、商品を安く見せようとする、980円の値付けをした商業的戦略と同じだと、思いつつも、一瞬ドキッとする題名でした。

このドキッとする、重苦しい気持ちは、多分、いつも通っている会社に行かなくなる不安とか、一線を退いて、時代の遺物になるのではないかという不安、退職後、どうやって過ごそうかとか、老後は暮らしてけるかの不安など、先の見えない状況から発生するものでしょう。

老後のテーマは、健康、お金、家族、妻 介護、孤独、生きがい、ついの住処など、複雑にからみ合って、人それぞれに抱えている問題は違いいます。

年をとって一番の弊害は、何かを始めるのに遅すぎたのでは無いかとする、自分で自分を老人に追いやる気持ちです。

2年前に始めた、フラメンコギターですが、始めるには遅すぎたのでは無いかと、いつも心のどこかに引っかかるものがありました。

最近、ようやく、心の定年、体力の衰えからくる老化感から脱することができました。
趣味が、ドツボから開放してくれました。

一念奮起して、始めたフラメンコギターでしたが、なかなか上手くなれず、モヤモヤしていたのですが、一年間通ったフラメンコ教室を思い切って、5月末に辞めました。

ここの教室では、私の望んでいることに答えてもらえず、こちらの技術が無いような扱いでした。
この扱いでは、若い人では、練習する時間もあり、これから何十年と弾いていく教え方ですので、まったりした進め方で良いのですが、こちらには、この先何十年と弾いていく時間がありません。

偶然タブラオで演奏している実際の姿を見て、7月からフラメンコの先生を変更する決心をして、その演奏者に教えを請うことをお願い致しました。

先生に師事するのも、一種のお見合いのようなものでして、相性やその音楽性、生き方に共感しないとなかなかついて行くことはできません。
しかも、歳をとってからは、子供の年齢ほど離れた先生のいうことを聴くには、素直な初心者の気持ちが必要です。

新しく師事した先生は、自分でも悩んだプロセスも同様の経験をしており、一生懸命教えてもらって、本当に良い先生に出会ったと思っています。

一瞬にして、自分の演奏の限界を見ぬかれて、7月から、ずっと基礎練習をさせられてきましたが、50年間我流で弾いいてきた癖や限界がわかり、だんだん克服できるようになってきて、ようやく光明が見えてきました。

言葉に出すと、言霊と言って、その通りのことが現実になります。
「年だから」という、諦めや辛さや、自己限界の気持は、来年も絶対に吐かないように、何か始める時が一番若いのであるから、前向きに生きていきたいと思っています。