法事で2015/06/07 21:26

法事で、田舎に行っていたので、更新できません、
日曜日の、朝の新幹線は、皆黒服の人が多くて、びっくりしました。

安心安全対策2015/06/14 16:59

建設の完了をお迎える最後は、実際に、建物を使っていただく人達、入居者の方々に対して、粗相の無いように、すべての機能が安全に確実に作動するか、使用して安心安全であるかなど、総合的にチェックを致します。

また、その建物が安全に稼働しても、建物を動かすエネルギーが適切に使われているかを、調査することも、また重要な課題です。

現在作っている建物も、あと2週間で、ようやく完成引き渡しの時期を迎えてきました。

建物を作る側から、発注する側に変わっても、その気遣いは、変わらないもので、引き渡されたあとの、安心安全に対しては最新の注意が必要です。

最近は、新しい建物ができて、自分の不注意で、廊下でつまずいて転んでも、駐車場に自分の車を入れるとき。、運転が下手で、縁石に乗り上げて、車のタイヤを破損しても、すべて、建物の提供者にクレームを言ってくる人が多くて安全安心に対しては、過剰反応するほど、気を使います。

いまの若い人達は、戦後の荒れた住宅環境や郊外の状況を知りませんので危険予知能力がありません。そのため、直ぐに転んだり、予想外の事をしでかしたりして、怪我をする事が多いです。

これが、50代より高齢の人達は、防空壕で遊んで、土砂が崩れたり。肥溜めに落ちたり、田んぼの畦道に落ちたり、凸凹道で遊んだり、手摺のない川で遊んだりしていますので、どこまでやったら危険か、ここは危険なところだと、事前に感じ取る能力が備わっております。

安全対策に守られて、過保護で育った若い世代を相手に、また、少子化でその子供を大切に守ろうとするモンスター親の影響で、安全に対しては、2重に3重にも安全対策を致します。

フラットな床のマンションに住む人より、上框があって、床の段差がある住宅に住む老人のほうが、寝たきりになったり、起居に支障をきたす人が少ないと言われています。

明日から、1週間、この安心安全のために、泊まり込みで出張となります。
子供の危険予知能力を剥ぐ検査ですが、時世柄、利用していただくお役様に対しては、過剰でなるほど安心である建物を提供せざるを得ません。

食文化が低い土地の食べ物2015/06/21 20:23

富山のブラックラーメンを食して来ました。

メンマは塩の塊、チャーシュウも塩の塊。
汁は、ただの濃い口醤油のまま

これは、食べ物ではありません。

全く、動物は絶対食べない食{餌}で、なぜ人間だけが、富山県人だけが、このラーメンを食べることができるのか不思議です。

ラーメンを食べるために、香辛料として置いてあったコショーも、これでもかと言うように、塩コショウで塩と醤油でドボドボです。

富山と金沢は、昔から、犬猿の中と言うように、仲が悪いことで有名です。

富山は、北海道と一緒で、ブリや、白えび、ますずしなど、食材の素材その物を活かした料理が有名です。

一方、金沢は、京都に代表されるように、新鮮な食材が入手できない土地であったために、素材をひと工夫もふた工夫も手を入れて、料理をつくる文化です。

自ずと、食材に手を入れないと美味しものが食べられない風土と、いつも新鮮な素材が入る土地とでは、考え方が違ってきます。

食べ物に関しては、金沢の食文化はとても豊かです。料理の文化度合いが高いのです。
新鮮な食材が直ぐ手に入らない土地の料理の技術は進み、豊かな食文化を生み出します。

今回、富山ブラックラーメンが、富山の名産と言われるのは、手に入らない食材、保存のため、塩を濃くして漬け込んだ、メンマや豚肉を、これまた、貧しい土地で収穫を上げるために過酷な労働を強いられた体が、濃い口醤油味や、塩を要求していたためと思われます。

この、人間の食べるものと思えないブラックラーメンは、加賀百万石の優雅な、城下町文化と対照に、貧しい風土が生み出した産物だと思いました。

750円も出して、友人も2割も食べられずに、腹も満たされずに、腹ばかり立って、怒りだけが残った夕食
腎臓の悪い、私としては、体を壊さなかっただけよかっとするしかありませんでした。

里山 里海2015/06/28 20:32

北陸の仕事もようやく一段落となるところです。
あとは、7月6日から8日にかけて出張。
その後、竣工式 二日置いて、グランドオープンとなります。

今回の仕事は、本日の写真に掲載したように、日本の原風景とも言える里山の近くの土地で仕事ができたことは幸せなことでした。

本州の太平洋ベルト地帯などでは、ほとんど専業で農業に携わる人がいなくなり、人の手が入らなくなって、里山の原風景が壊滅的になっていますが、このように、北陸地方は、まだまだ里山が残っており日本の豊かさを感じます。

誤ったと言うより、ひとつの宗教の定めが、その宗教は世界的な規模で広まったもので普遍性の絶対であると信じている人達が、自分たちの宗教観に基づく環境保存の概念を押し付けています。

最近の例では、イルカ追い込んで捕獲する、追い込み漁を虐待と行ったり、山の木を切るだけでも自然破壊と言ったり、環境保全については過剰な反応を示す人達がいます。

牛は殺しても、殺されるためにうまれて来たと言って、肉食と牛の惨殺を正当化したり、一方で、牛は神聖な動物だと崇める宗教もあり、
酒は絶対禁忌な飲み物と言う宗教があると思えば、
ワインは、神の血だと言って、率先して飲まれたり、般若湯と言って影でお酒が飲まれたり、何かをしてはいけないという戒律は、宗教や民族でそれぞれです。

戒律の違いが、宗教戦争を呼び、人間の歴史は、すなわち、宗教観の対立、抗争史が戦争の歴史となっています。

日本のように、清濁併せ呑む考えは、世界には存在しません。

最近、とみに、インターネットの発達で世界が情報化され、考え方の違いが、時間、空間を飛び越えて誰にも認識できるようになると、戒律の違いがより鮮明に浮き彫りリになって、その違いに、それぞれの宗教が正当性を唱え、ヒステリックになって、白か黒かを決しようとしているとしか思えません。

この里山に限ったことで言えば、人が森の木を伐採して、手を入れて行かないと豊かな森は存在できないものであるのは、自然の摂理です。

人間にとって、否、日本人にとって豊かな森、里山は、色々な木々が生息して、雨水を浄化し、多くの動物、植物を育み、多くの実りを提供してくれる山なのです。

この日本の原風景、豊かな森を有する里山の傍で、新鮮なきれいな空気を吸って仕事ができたことは光栄でした。

海についても、海の生態系を破壊する、くじらやイルカを日本の海に近づけないようにして、その正当性を訴えて、
「里海」という概念で、日本人の食べる、豊かな海の実り、
あじ、鯖、さんま、ニシンなど、小魚を守ってくれる、豊かな海を守ろうと、世界に発信する必要を感じます。