あのパコ・デ・ルシアが・・2014/03/02 20:31

ギターを弾いたことのある人なら、一度は、耳にしたことがある、あのパコ・デ・ルシアが、演奏旅行先のホテルのバスタブで、急逝いたしました。
2月26日、夜に訃報が入り、享年66歳でした。

私が学生時代に、突如として現れた天才フラメンコギタリストですが、
学生時代の私は、クラシックギターに傾注していましたので、パコ・デ・ルシアの曲を演奏することは、ほとんどありませんでした。

と言うより、彼の演奏技術が卓越しており、とてもこのようなテクニックは身につかないし、現在のようにDVDやYOURUBEもない時代に、どうやって演奏するのだろうかと、手も足も出ない思っていました。

彼の特筆すべき点は、ロマの遊牧民族が奏でていた、卑しいフラメンコ音楽を、一挙に芸術の粋まで高め、その音楽性を広く音楽界に認識させて、民族楽器を超越して、フラメンコ芸術を世界的なものに押し上げたことでした。

彼が出現する前にも、フラメンコを芸術の高みに引き上げる人はいましたが、普遍性を確立するまでには至りませんでした。

現在では、彼の影響を受けた人はかなりな数に上り、多くのフラメンコ奏者を排出していますし、他のジャンルの音楽と融合して、新たな音楽を生み出しております。また、その演奏の自由度の高さで、音楽的な面白さも醸し出し、人々を魅了しています。

私は、昨年9月に突如として、フラメンコギターに目覚め、早速、古本屋で、1979年の現代ギターに掲載された、パコ・デ・ルシアの「パティーニョの思い出」の楽譜を購入して、練習し始めたばかりでの訃報でした。

心の片隅で、私の尊敬するギタリストのジョン・ウイリアムスと並んで、影の尊敬するギタリストであった、パコ・デ・ルシアの演奏に憧れていました。

自分が40年前には弾くことができなかった、超絶技巧の、この曲も、40年の歳月を経て、ようやく拙くも弾くことができるようになってきた矢先での衝撃に、この愛しい、哀しい「パティーニョの思い出」の曲が、パコ・デ・ルシアへの鎮魂の曲になってしまいました。

リアル定年 老人は醜い2014/03/09 21:30

本屋をウロウロしていたら、定年のコーナーがあり、そこで、
「定年後のリアル」という本に出会いました。

還暦を過ぎて早1年も経つと、退職した後の定年後をいかに過ごすかがテーマになっており、同窓会や昔の友人に会っても、どうやって退職後の人生を過ごしているのか、過ごそうとしているのかが話題です。

男二人以上集まれば、病気と老後の話題には事欠きません。

さて、本屋さんには悪いのですが、立ち読みにして早読みした中身ですが、「定年後のリアル」と言う本の中で筆者は、美辞麗句を省いて、即老人が対面する問題を書いているのですが、誰も老後のあり方を結論が出せないという結論と、あれこれ挑戦しなくても、先のことはわからないから、今日、明日を健康で生きているだけでもよしとして過ごそうと書いておりました。

さて、その中で、一番痛烈だったのは、「老人は醜い」ものだと断定して、その醜さを本人がわかっていることが大事と書いております。

身なりにしても、言動にしても、だんだん醜い様相を呈してきましので、
老人は醜いという現実を直視して、少しでも醜くならないようにしないといけないと、この本を読んで感じるこの頃です。

札幌地下街2014/03/16 21:02

先月末のことですが、久しぶりに札幌に出張に行ってきました。
札幌には、約4年ぶりでした。

札幌に地理に詳しい人は理解されていますが、札幌には、オーロラタウン、とポールタウンという2つの地下街が、1972年の札幌冬季オリンピックの開催に合わせて、地下街が整備されました。

しかしながら、札幌駅前から、大通り公園までの間は、地元商店街の、札幌から地下街を大通りまで延伸すると、大通り公園側の商店が潰れてしますということで、反対勢力の意見があり、長く地下街を伸ばす計画が頓挫しておりました。

しかし、時代の流れで、札幌駅前に大型店舗や、量販店、ホテルなど集積し整備されたところ、いつの間にか札幌の中心は駅前に移動して、大通り公園側の商業施設は、衰退していきました。
札幌丸井今井が閉店したのは、私が転勤していた頃の、1993年頃でした。

商業施設の中心が、札幌駅前に移動したのをきっかけか、その流れはわかりませんが、大通りから札幌駅前まで地下道が開通しておりました。

冬の寒さを体験することなく、薄野、大通り公園から、地下鉄に乗らなくても、雪を踏みしめなくても、札幌駅まで行くことができるようになっておりました。

しかし、開通まで40年の歳月をかけたのに、完成された地下道は、これが北国札幌を象徴する地下道かと、思わす言葉を失うほど、無味乾燥とした空間でした。

掲載した写真は、カメラが自動調節したので明るい画像ですが、実際はとても暗く、長い冬を象徴するような陰鬱な空間でした。

私の友人たちも、この地下道を通るたびに、地震時の被災難民の移動を思い出させると、この空間を忌み嫌っています。

日本の地下道が、なぜ陰湿で、無味乾燥とした空間を醸成するようになってしまったのか、第2の故郷の、本来は発展を祝うべき地下道開通ですが、何かしら、世界に誇ることのできない寂しさを感じました。

ブログから2014/03/22 21:44

いつも気にしているブログがあります。
同じ、ASAHIネットブログを開設している関係で、知ったブロフです。

ブログのタイトルが、「気がつけば82歳」という変わった名前と、アサブロという、ASAHIネットの管理者ホームページのトップに、ブログのアクセスのランキングを計るページがあり、いつも上位に名前が出ている名前でしたので、自然と、このブログを知ることになりました。
ホームページのアドレスは下記です。
http://thoughts.asablo.jp/blog/

60歳で、コンピュータを覚えて、それから、82歳でブログを開設された、ペンネーム美海さんという女性が運用されておられます。

最初は、人気ランキングに入るブログなので、どんなことが書いてあるのだろうかと、好奇心に駆られて訪れたのですが、その飾らない人柄、ものを見つめるこころ、掲載される写真や自分で描いた絵に感銘を受けて、よく拝見するようになりました。

本年は、1月後半から急激に忙しくなって、また、自分の趣味に昂じている間に、しばらくこのブログへの訪問を疎かにしていましたが、1昨日、このブログへの訪問後に管理者ページヘ飛びましたら、なんとこのブログが、幻冬舎より出版されていました。

いかに生きるか、自分探しのテーマで「人探しの旅」を、昨年よりしておりますが、ブログを通してですが、身近にまた、見習うべき先達がいることを知って、道標をもらった感じを受けております。

送別会のシーズン2014/03/23 20:49

今週は、送別会のピークの週です。
送別会には、日本の居酒屋に勝るものはありません。
いろいろな酒、一口つまみなど、こんなに,
見た目でも、味でも、種類の豊富さでも楽しめる国はありません。

毎年、この時期になると、来年度の新しい組織が出て、サラリーマンの人達は、悲喜こもごも新天地への旅たちの前に、送別会が催されます。
いつも勤務している職場も、出向する人、退職する人、部署替えの人など様々です。
同じ会社の同じ部署に長く在籍する人は、変化を実感することはほとんどありませんが、実際、5年も地方に飛ばされ、転勤して戻った時には、会社が大きく変わっていることを知り驚愕します。

同じ所にとどまっている人にはわからない何気ない変化が、一旦その所属から離れると、元居た組織が大きく変わるのは、人の常なのかもしれませんが、まさに、万物は流転するのだと感じ、また、変化がなければ、滅びていくことは、摂理なのかもしれません。

例えば、新幹線の中で、飛び跳ねても、飛び跳ねた人は、元の位置に着地しますが、新幹線の外にいる人が、その飛んでいる人をみると、ものすごい速度で、進行方向に飛んでいるように見えるのと同じ現象かもしれません。

「石の上にも3年」という言葉とともに、「転がる石は苔がつかない」という、正反対の格言がありますが、人間も、社会も、会社も、そのまた小さな組織も、どんどん変わっていくものだという、人間社会の、業や宿命である限り、苔がついて、次の時代についていけない石になるより、転がる石になるのが、正しいことかもしれません。
同じ速度で飛んでいる組織に、いつまでも自分が安住や在籍ができるとは限らないからです。

新しい酒は、新しい革袋に入れるように、来年度のスタートは、(物理学で言う)どの系に所属しようと、新しい革袋で、醸成したいものです。