刹那の美学2013/11/04 20:41

久しぶりに、プロ野球が面白かったです。
最近は、プロ野球などとんと見なくなっていましたが、今年の日本シリーズは、楽天対巨人の試合で、王者巨人という巨象にどのように、やっと成長してきた楽天の一寸法師が立ち向かうのかと、戦う前から興味がつきませんでした。

昨日の第7戦では、楽天の田中投手が、前日の160球投げたあとでも、また、マウンドに立って、エースとしての意地を見せてくれて、前日の敗因の溜飲が下がる好投でした。

テレビの解説者の中には、短期決戦の意義も投手の意地もわからず、160球も投げたのに、また出てきたことを、理解できないような解説をした元ピッチャーもいて、このとんちんかんな解説を聞いていて、呆れると同時に、アメリカ野球に代表される、人間をものとして、機械として見る野球の考え方に毒されていることを感じました。
また、このピッチャー上がりの解説者は、一流になれなかった一因がわかるようでした。

通常のマインドで行けば、160球も投げた投手にまた、登板させることは、常識を逸しております。
しかし、今シーズン負けなして完投した、田中投手に対して、第6戦の負けを引きずって、悶々として来シーズンを迎えるより、第7戦で締めて、来季につなげたほうがよっぽど、彼にとて良いということがわかっていた、投手出身の星野監督ならではの采配に、本当にピッチャーの気持ちがわかる監督だと感じました。

機械のようにローテーションと、投球数にこだわって、投げる投手にすら、そのシステムの維持に対して、暗示にかかるほど、いまのアメリカに代表する現代野球は、システム化しております。
このシステム化が、野球をつまらなくし、野球をテレビから遠ざけたことを、この解説者はわかっていないようです。

原監督の采配ミスは、第5戦で、ピッチャーに、四球を出すほど、場の空気に飲まれたピッチャーを使ういじましさ、システム維持が、今回の巨人の負けのシリーズをすべて表していたように感じます。

遠くアメリカ大リーグで、上原投手が今季活躍して、多くのアメリカ人に絶大なる、信頼と尊敬を受けたことも、彼の投球には、システムを逸脱した人間としての、ひたすら一途に突き進む心に共感を呼んだと感じました。

一葉散って、秋を知るではありませんが、巨人散って、また、システムに勝った、生身の人間の演ずる野球の面白さを再確認した日本シリーズでした。

情報が容易に手に入ると2013/11/10 21:46

このところ、仕事で色々な土地にいっています。
大阪方面以外に、今年は、新潟、高岡、金沢など、日本海側を回っています。

太平洋側で育ったものにとっては、日本海側は、とんと縁も情報もない土地でありました。

川の流れを見ても、太平洋側では、北から南に流れますが、日本海側は、南から北に流れます。
このことは、大変な驚きで、この感覚の違いが、知らない土地に来たことを実感させます。

さて、出張に一緒にいった同僚が、金沢に美味しいラーメン屋が在るとかで、駅からわざわざタクシーで足を伸ばして、評判のラーメン店に行ってきました。

いまは、インターネットと口コミ情報で、瞬時に、どこが美味しい店か、わかってしまって、知らない街を散策する楽しみが失せたように感じます。

この店ですら、決してまずい店ではありませんし、むしろ美味しいラーメン店の一つであると感じます。

しかし、口コミ情報に良いことを書かれているとそれ以上の味を提供しないと、もう新しい顧客は満足しなくなってしまい、現に、期待して行きましたら、これで金沢一のラーメンかと、期待が大きいだけに満足感を得ることができませんでした。

情報が、容易に手に入るとそれ以上の、期待を裏切らないものを提供し続けて行かなければいけない厳しさを感じた出張でした。

夏が去って、2013/11/17 17:16

今年読んだ小説の中では、百田尚樹氏の「永遠の〇」小説ほどいろいろな事を思い出したり、感銘を受けた本はありませんでした。
また、この小説を読んだことで、いつか書こう、書こうと思っていたテーマの一つが、私の代わりに百田氏が書いてくれたことで、ひとつの重荷がおりたし、下ろすことができた感じがします。

最近、NHKの朝のテレビドラマの面白さが復活して、また、朝ドラを見るようになりました。
今回は、「ごちそうさん」という題名で、主人公は、たまたま下宿させた帝大生と恋に落ちて、大阪の彼の複雑な環境に嫁いで、その苦労を乗り越えていく物語を展開しておりますが、嫁ぎ先の複雑な家庭以上に更に複雑な家庭で育ったものとしては、主人公の彼女の生き方を注視しております。

家庭の複雑さを語ることは、至って個人的な内容になりますので、このブログでは、多くを踏み込みませんが、その複雑さのほんの一端に、私の両親は、お互い離婚経験者であったことです。

私は、父親の前妻だった人には会ったことがあるのですが、母親の前の夫だった人には、会ったことがありません。

それもそのはず、母親の前の夫は、戦争でフィリピン沖で戦死したとかで、彼につながる、それ以上の情報は何一つありません。母親は、戦争未亡人です。

母親が昔語ったことによると、出征前の1週間だけが、母にとっての新婚生活だったそうですが、その後出征して、そのまま帰れぬ人になったとのことです。

同じ小学校に通った先輩後輩の関係で、学校では憧れの人であったその人から出征前に、結婚の要請を受けたときは、とても嬉しかったといっていました。

日本中のその頃の年頃の女性の多くの人が経験したように、成人男性は戦争に行く前に結婚させて、出征前の花道を飾ってあげて、戦争へ駆りだされたようです。

その後、フィリピンで死んだという情報だけで、遺体がどこにあるかもわからずに、戦死を告げられて、戦争未亡人になったようです。

「永遠の〇」では、お婆さんの昔を辿ろうと、孫達がそのお婆さんの夫であった、その人の過去をいろいろな方面から探って、お婆さんの夫の実像に迫るものです。

私もいつか、母親を愛したその人が、どのように戦争を闘いぬいたか知りたくで、心の片隅に、常に戦争とは、切っても切れない感情を持っておりました。

残念ながら、この小説「永遠の〇」は、私の様に感動を受けたものとは、別に、史実を曲げているとか、戦争を賛美しているとか、多くの人達から批判の声を受けています。

毎年、お盆になると、兄の運転する車で、女兄弟は墓に連れて行こうとしないで、母親は、私と兄貴を連れて、母親の実家の墓参りのついでに、元夫の実家によって墓参りをすることが毎年の行事でありました。

女兄弟には、戦前の思想で、「貞女二夫に見えず」の思想があったためか、姉も妹を連れて行く事はありませんでした。

前夫の墓の前で(最も遺骨もないのですが)、兄と私を毎年見せて、
「私は、ちゃんとなっているから」と、毎年報告をしていました。

38歳の若さで、夫である、私の父親をなくしてから、心細さか、挫けそうな気持ちを鼓舞するためか、また、前夫の両親がなくなってからは、より一層、無縁仏にしては行けなからと、元夫の実家にもよらず、私と兄を連れて、墓参りに行きました。

男である、私達兄弟を連れて行く事で、生きる実際と、過ぎ去った過去を、毎年実感していたようです。

私が東京に就職して、現在の住居に新居を構えた時に、母親は上京して、兄に連れられて靖国神社を参拝しました。
その時、「やっと、一区切りをつけることができた。」ととても喜んでいたのが、印象的でした。戦争はいつまでも終わりがなかったのです。

その後、兄が体調を崩して、その時は、家族中が、兄がおかしくなって、精神的に鬱になってしまったと感じている時でしたが、
(実際は、体に癌の病魔が進行していたのですが)
兄は、現状から逃れようと、家を顧みず、フィリピンに逃避しました。

その後、兄が、フィリピンから帰ってきた時、母親は、「あのまま、フィリピンで死んでしまうか」とおもったと話したときは、前夫を同じフィリピンで失っていたので、その悲しみと、安堵が入り乱れておりました。

前夫、父親、兄と次々に、最愛の人を失った母に対して、
何かしないとと思いつつ、何もできず、他界して5年余が経ってしまいました。

この間、何か書こう書かねばと思ったり、鎮魂の気持ちを現そうとしましたが、時間ばかりが過ぎて行きました。

小説「永遠の〇」に出会い、しばし、合掌です。

表参道2013/11/24 21:20

天気が良いので、久しぶりに表参道に行って来ました。

表参道には、商業的に作られた教会に隣接して、結婚式の引き出物を売っている店があり、その店は毎年クリスマス用品を売っています。

昨年、この店のクリスマスのリースがデパートよりオリジナリティのある商品が陳列しており、しかも、デパートより格安で在ることを覚えていたので、昨年まで使っていたリースが壊れたので、新しく取り替えようと物色に行ってきました。

街は晩秋の雰囲気で、ケヤキの落ち葉が舞い散る歩道を歩いていると実に気持ちが落ち着き、秋のきりっとした空気が包みこんでくれます。
1昨年と違って、今年は人も多く出ており、景気が回復している事を感じました。
表参道ヒルズも、昨年とはうってかわって、多くの客で賑わっておりました。

さて目的とする店で、望んでいたクリスマスのリースを購入して、またウキウキした気持ちになって、そのままに、その足で、彼岸にお参りをしなかった欠礼と一年の無事とお礼を兼ねて、明治神宮に参拝しました。

参道を歩くことで、気持ちが浄化され、とても静謐な気持ちになりました。