購買の潮流に変化が2012/09/02 17:43

まさか あのシャープが倒産の憂き目にあっていようとは・・

シャープの亀山モデルといえば、液晶テレビの中では、垂涎の一品でありました。

私の家には、液晶テレビが2台ありますが、最初に購入したときは、
シャープの液晶テレビは、高品質であっても手が出せる値段でありませんでした。

それでも、皆が遊びに来てくれた時、ブラウン管でない、綺麗なテレビが欲しいと思い、音質の飛び抜けてよかったビクターの液晶テレビを買いました。

その後、内需拡大の国の方針に踊らされて、デジタル化の波に更に、エコポイントがつくとかで、一挙に液晶テレビの買い替え需要がでて、テレビは、売れに売れました。

しかし、テレビのデジタル化が終わり、エコポイントも終わった瞬間に、テレビは在庫の山になってしまいました。

必然的に、亀山モデルでさえ、値崩れが起き、更に国内生産という、人件費の高いところで作ったテレビであったので、採算割れして、巨額の負債を抱えています。

このことは何を意味するのか?

いいものは売れるという、日本企業のモデルが崩壊したのか?
製品に優劣の差が、あまり出なくなった市場環境では、安いものに流れるのか?

ビクターが液晶テレビから撤退したとき、こんなにいい音のするテレビ、しかも、当時としては、値段の割りに比較して、コンピュータ連動した高機能なテレビがなぜ売れないのか、個人的に納得がいきまんでした。

これは、知名度、つまり、パナソニックやソニー、シャープの名前だけで、購入する人が多かったと判断していたのですが、

今回の、シャープの転落は、世界は、日本製という絶対的信頼感の家電を求めているのではなく、また値段と比較して高機能なものが付加価値としてあるものではなく、安い方安い方へと流れていく潮流の中にあるのか?

日本企業のものづくりモデルが、軒並み崩れ去っている現在、同じものづくりをするものとして、消費者であり生産者の立場でどう考えて行ったらよいか、判断に迷うところです。

日本のように、国が誕生してから一度も国の最高統治者(天皇)が変わらない国では、損して得取れとか、製品のライフコストまで勘案して、サービスを提供する国に育っていると、信頼は絶大なる商品となります。

しかし、何回も王朝が代わり、しかも、繰り返し、異民族に統治されたような、韓国や中国を筆頭とする、他の国では、刹那的な目でしかものを見れないと思われ、商品購買の優先順位は日本と大幅に違うのでしょう。

その刹那、最高頭首が殺され代わり、あすはまた違う王朝や国になる人々の国、また、異民族の集まりで、教育水準が平均化されていない国では、高機能でなく、できるだけ簡単なもので、しかも刹那的にものを消費しようと、その一瞬の成功した金を、博打的に、かつコストの安いものを求めると思われます。

これからは、日本の国内の生活も、以前のように安定的でなくなってきたので、この時代、世界の潮流に、好む好まざるに関わらず、製品化の流れを、チープ、簡単化の流れに、大きく転換せざるを得ない時期に来ているように感じます。

敬老で一考2012/09/09 20:55


金曜日に、会社のメールアドレスに、保険屋のおばさんが、何を思ったのか、敬老の日のグリーティングカードを送ってきた。

いつまでも、万年青年のつもりでいたのに、「敬老とは」、あまりに失礼なメールで、終日気分が悪かったです。

老人の定義は 大辞泉では
年をとった人。年寄り。老人福祉法では、老人の定義はないが、具体的な施策対象は65歳以上を原則としている。

この定義からしても、65歳が老人の始まりだと書いてあるのに、
本当に失礼なメールで、今でも思い出すだけでもムカムします。

もっとも、先日、前職の後輩と一緒に飲んだ時、彼は、私より8歳も年下ですが、髪の毛は、私より真っ白でしたので、
「電車の中で、女子高生に席を譲られた!」と、嘆いていました。

年より、若く見られたいのは、人の心情です。
現代社会が、アメリカナイズされてから、いつまでも若いことが美徳とされ、後輩に道を譲ったり、
高齢者には高齢者の役割がいつの間にかなくなって、ひたすら現役でいることを強いられます。

大相撲が始まりましたが、第一線を退いた力士が、新たにそれぞれの持場で、大相撲を支えていますが、日本の大相撲の社会のような、高齢者の役割があり、その存在を大切にする風習が、いたるところでなくなって、久しくなりました。

年を取ることを愛でることなく、いつまでも若く、現役でいることが美徳である社会、高齢者にも役割があること、また高齢者を祝う言葉すらない現代社会に、戦後のアメリカナイズされた日本の社会の歪を、敬老という言葉を投げかかけられて、感じました。

体と心の養生2012/09/30 20:49

しばらく筆を取らなかったら、もう今日で9月も終わりです。
暑い、暑いと言って過ごしていたら、いつの間にか秋は確実にきて、
今日大型の台風が通り過ぎれば、ますます秋めいてくるかもしれません。

北海道の友人から、久しぶりのメール連絡がありました。
しばらく、音信不通かと思っていましたら、
大腸のポリープの手術をしたとかで、
(今は、開腹しないで、内視鏡に依る、腫瘍部剥離・摘出というようですが、)

大好きなお酒はもちろん、発泡性飲料、他繊維食品、
高脂質商品、コーヒー、香辛料など飲んではいけないとのことで、
このひと月、仙人のような暮らしをしていたようです。

幸い、ポリープは良性とかで、安心しました。
彼の執刀医が言うには、ポリープも40歳頃の
不摂生が60歳になろうとした頃に出たものだと言っていたそうです。

よく人の顔は、40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つとか言って、
アメリカのアブラハム・リンカーンが、官僚を選ぶとき、
顔の悪い人を採用しなかった話を聞いたことがあります。

アラ還を迎えて、感じることは、
年齢を重ねるごとに、人の顔は正直に、
何を見て生きて来たのか、
どのような価値観で生きているのかなど、
一挙に内面的なものが顔に出てくると感じています。

しかし、体の内部においても、若い時から
どのような生活慣習を送っていたのか、
何をどのように食べていたのかで、
この歳になると、一挙に出てくるのかと感じています。

心の内面も、身体もこれからも、養生し、鍛錬して
いい顔で、健康で過ごすことができるようにしないといけないと感じています。