楽しい散歩2012/07/01 21:38

年初来、いろいろ煩わしい問題を抱え込んで、精神的に追い詰められておりましたので、いろいろなことをやる、心のゆとりがありませんでした。

人間、追い詰められると考え方が、陰の方向、陰の方向へと落ちていって、あがけばあがくほど、泥沼にハマります。

そういう時は、思い切って休暇を取るなり、全く新しいことに挑戦したりして、それとも、じっと我慢して、飛び立つ前の滑走路にいると思うことが一番いいです。

しかし、実際苦しい時は、心のゆとりが無くなってしまいます。

間がない人は、間抜けと言いますが、ゆとりがなくなると、真剣にやっていると思っても、効率が悪かったり、ミスしたり、いい加減になったり、同じ所、考えでぐるぐる回って、無限地獄にはまってしまいます。

今週の土曜日に、久しぶりに神保町に行って来ました。
何もしなくて良い土曜日でしたので、ゆっくり古本屋を回りました。

土曜日の神保町は、私のような中老年のおっさんが、背中に購入した本入れる目的でリュックサックを背負って、ウロウロしている人たちがとても多いです。

フラメンコを弾くことが好きで、自分の所有している銘器をプロのギタリストに演奏してもらう会を毎年開催している、作家の逢坂剛氏は、神田神保町に居を構えて執筆活動をしておりますが、街全体が、本の山に囲まれた場所に身を置くことで、より書くことへの意欲が醸成されるのだなあと、感じています。

古本屋を片端から回って、特に暇なときは、ジャンルを定めずに経済観関連を扱う店、建築関連を扱う店や、ゲームを扱う店、芸能本を扱う店、作家別に揃えている店、美術関連を揃えてくる店、和本を扱っている店など、あてどもなく回っていると、不思議と本が、私を買ってくれと叫んで来る状態に出会います。

この瞬間を捉えて、その本を購入するのです。

3~4時間ぐらい回ると、体はぐったりしますが、ゴルフをしたあとのように、さわやかな感覚と充実感に満たされます。
骨休みの喫茶店でしばし、熱いコーヒーを飲むと、なに悩んでいたのだろうかと、不思議と気持ちが改善しております。

電気の街、秋葉原、本の街、神保町など個性的な地域があることで、東京の街は、豊かだなあと感じます。

久しぶりに明るい話題2012/07/08 21:14

定年が近づくに連れて、自分たちと同年齢のものや友人が、熟年離婚や、別居離婚をしていたり、もう夫婦会話もなくなって、老後をどうするかと、お互いのわがままが老後に向かって爆発し、不仲になったような、暗い話題しか耳に入ってこないと思えば、
老後にますます仲良くなった夫婦の話題が耳に入った来たり、定年を迎えたり、定年を過ぎた夫婦の有り様は、曖昧さがなく黒か白か、幸不幸がはっきりしています。

それだけ、老後を迎える男女の中は、複雑化もしれませんが、実に明るい話題として、エルビスおじさん方たちに誘われて、先週の金曜日の夜は、「平成おじさんバンド」のお祝い会に出席しました。

なんと、そのお祝い会と言うものは、じっと同じ会社で、同じ釜の飯を食べて、自分の仕事を全うしていた、お二人の熟年結婚でありますが、お互い初婚という実にめでたい、実際このようなことがあるのだろうかと思われる、事実は小説より奇なりという、結婚のお披露目会でした。

こんなめでたいことをないと、出席したメンバー一同、最初から興に乗って、行ったことのないような、六本木の高級カラオケで、歌うこと歌うこと。

しかも、歌う曲は、往年のヒットソングや、コミック歌謡でした。

カラオケに行くと必ず、年取る恐れから、古い人とみなされないように、やたらと、新しい曲に飛びついて、必ず負ける若さにしがみつこうとして、老醜をさらけ出す人が多いのですが、昔の仲間は、背伸びすることもないので、実に伸びやかに、おじさんバンドの昔のレパートーリーを歌って、気持よく、熟年新婚カップルを酒のつまみにして、歌って楽しい時間を過ごすことができました。

新婚の初々しさとほんわかした暖かさに触れ、3時間歌い放題し、明るさと元気さをもらった実に楽しい会でした。

片付けられない性格2012/07/22 21:40

片付けられない性格というものは、大人になっても変わらないものだと、つくづく最近感じるようになりました。

いろいろな整理の本が巷に溢れ、片付けカリスマのような人が出てきています。

ある人は、不要と必要、要不要がわからないものを3つに分けてとか、3年経って使わないものは捨てるとか、ものを買わないとか、一つ買ったら一つを捨てるとか言って、ひどいものになると、思い出という感性の領域まで踏み込んで、断捨離などと言って、バサバサ捨てることが美徳のように解釈している本もあります。

いずれも実行したいと思っても、自分の場合、
1.記憶力が悪いので、ものを身近においておかないとすぐに忘れてしまう。
2.育った環境が、ものを自由に買える状況でなかったので、購入したものは、愛着があってなかなか捨てられない。
3.本のように、自宅の収集した本の背表紙を見ていると、知識の遍歴がわかり、あるテーマを書こうと思った時に、その背表紙が、急に言葉を発してきて、知識のデータベースのトリガーになるので捨てられない。
など、取り上げれば、様々な要因で、捨てられない病になっていました。

もっとも、ものを捨てられなくて、
おもちゃばかり収集して一躍有名になった、北原照久さんとか、
いろいろなものを集めて博学になった、荒俣宏さんや、
昆虫収集家の養老孟司さんなど、捨てられなくて、博物館や昆虫館まで作って、大家になった人もいますので、捨てることが必ずしも、何がいいかわかりません。

一つ言えることは、なんでも中途半端だと、ガラクタを片付けろとか、そんなくだらないものに埋もれていてとか、一挙に批判を浴びることです。

出る釘は打たれる前に、もっと出てしまえば、大家になります。

さてこんなくだらないことを言っても、実際、自宅が小さい者にとって、部屋に溢れかえった本の処理、資料の山をどうしようかと考えています。
大家でなく、凡人の者にとって、ものが生産性を生み出すわけでなく、置くところがないので、仕方なく、捨てることも余儀なくされている状況です。
何とかしようと、うろうろうろうろしていたら、
楽なスキャナーがあり、これに取り込めれば、本が捨てれるのではないかと考えて、このスキャナーを買おうと思っております。