6月に入り2012/06/03 20:46

6月に入りました。

東京では、、本当に過ごしやすい一年で一番いい季節です。
日曜日の夕方など、窓を空けて、太陽が西に傾くころ、
ビールを片手に、さわやかな風が吹き抜けると、
至福の時間を感じます。

藤原正彦氏の近刊された「名著講義」を読んでいます。

まだ途中ですが、
お茶の水大学で、
1.受講者は、毎週1冊の本を読む根性があること
2.受講者は、毎週1冊の本を買う財力があること
の条件で集めた学生に、藤原先生の選定した本を読ませて講義を行わせた
講義記録であります。

私の場合は、海外によく行くようになってから、日本や日本人は何かを、
外国人と接したり、話をするたびに意識しないではいられ無くなりましたが、
藤原氏は、半ば強制的に、読ませた本によって、
熱い鉄は速く打たないといけないと感じるほど、情熱的に日本や日本人を
考えさせ、真の国際人として学生を育てあげます。

このような講義をしてくれる先生がいることは、とてもうらやましく感じました。
学生時代に、こんな講義をしてもらえたなら、もう少しまともであったかも知れませんが、海外旅行と言う高い授業料を払ったことで、
時代の常識からいったん退いて、自分の頭で考えること、
藤原先生の目的とする境地が分かってきている自分に気がつきました。

喧騒を巻き起こすライトアップ2012/06/10 21:02

 スカイツリーが開業して、江東区、墨田区の地域は、さらに騒がしくなってしまいました。

スカイツリーそのものが、存在感があり、否が応でも、空を占拠し始めて、空間を狭くしているのに、更に追い打ちをかけるように、夜は夜で、ライトアップをして、その存在をアピールし始めました。

スカイツリーの成長を、「東京太郎」という名前で、暖かく見守ってきたものとして、成長を喜び、その圧倒的な存在感を今更否定するわけではありませんが、
いかんせん、夜のライトアップがいただけません。

東京ワターのように、静かにその存在を照らすのなら許されるのですが、クルク回る、輝度の高いライトに、夜の静寂(しじま)が失われてしまいました。

堺正章さんの歌のように、人を恋したり、物思いにふけるときは、
「町の灯ちらちら・・・」でなくてはいけないのに、
くるくる回る光の渦に、ちらちら灯る街の灯が、夜も、昼間と同じ喧騒の世界になってしまいました。

スカイツリーが、自分の頭を、まるでくるくるパーのように照らしている、ライトアップをやめない限り、2度と帰ってこない、夜の静寂ですが、江東区、墨田区の人にとっては、その静寂を返してと、切に願うものであります。

IPADについて2012/06/17 20:44

先週は、スカイツリーのライトアップが地域住民のことを全く考慮せず、自己主張だけしている話をしました。

今日の写真は、すみだ水族館のニモであります。

いくら悪口を言っても、隅田川を渡ったところに、スカツリーが出来て、一挙に都会が押し寄せましたので、「下町」とややもすれば、「山の手」に文化的にも、生活レベルでも、遅れている印象を与えられておりましたが、これで、少しは文化的にも対抗できる施設ができたことを嬉しく思っています。

老生も率先して、すみだ水族館の年間パスポートを購入して、都市生活を満喫しております。

さて、先週、エルビスさんのホームページ(The Cabin of Uncle Elvis)で,私が、年甲斐もなく、Ipadを見せびらかせた話が、連歌の発句のような文章が掲載されましたので、その付句を書こうと筆を取りました。

4月7日に買ったIPADですが、ここ2ヶ月、莫大な時間をIPADに費やしてしまいました。

IpodTouchを昨年8月に、買った時とは違って、この時は、気軽に音楽やメールが出来ればいいなぐらいでしたが、IPADには、仕事でも使える、モバイル機能、データベース機能を能力以上に期待しすぎました。

テレビのコマーシャルで放映されているように華麗に動かないことがわかりました。
コマーシャルのように動かすには、MACのコンピューターが必要でした。

アップル製品の良さは、ウィルスにかかる可能性が低いことで、これから、スマートフォンが、爆発的に流行り始めるのを見計らって危険性が増すと判断し、OSがクローズドシステムで有ることが情報の安全性になると判断して、あえて、アップル製品を購入いたしました。

確かに、IPADは写真を見るとか、ネットを気楽に見る点では優れた製品ですが、多くの欠点を秘めております。

IPADのデータ入力構成が全くわからに事で、アプリという、その機能しかできない一つのソフトを動かして、そのアプリと一対一のデータしか対応出来ないのです。

データをフォルダーに入れて管理し、そのデータをフォルダーから取りに行く機能は、goodreaderというアプリを入れないと管理できず、goodreaderと提携していない、アプリは、そのフォルダーにアクセスすることができないのです。
つまりは、一元管理ができないのです。
ITUNE上でも、それぞれのアプリにそれぞれのデータをいれなくてはならず、煩雑この上無いです。

メールもメールで、文章を書いてから、データを送ろうとすると、添付フィルをつけることができず、送るデータを決めてからそれをメールに転送して、やっと送ることができるようになるのですが、結局複数のデータを送ることができません。

所詮、ほぼ完成されたノートブックのコンピューターには足元にも及ばないもので、同じタブレットでも、ソニータブレットのほうが、データ入力にしても、データの取扱にしても、機能的で、使い勝手も数段上であったことがわかりました。

世界の人を相手にする製品は、ひたすら単純なもので、余分な機能をそぎ落として、単純明快でなくては売れないのが、今の趨勢です。

日本製品が数段優れていても、それを使いこなせる人の能力が追いついていないと、それは、逆に使いにくいガラパゴス製品になってしまいます。

IPADを購入して、物事を単純に単純にしていないと、物は売れないのかと、常に究極まで突き進んでしまう日本製品の考え方と、世界の趨勢が相反していることを感じました。