謹賀新年2012/01/02 20:59



旧年中は、大変お世話になりました。

今年は、けじめの年です。
また、生まれ変わった気持ちで、前向きに
進みたいと思っております。

本年もよろしくお願いいたします。

健康に留意しよう2012/01/14 22:48

正月明け早々、病気になりました。

7日の土曜日は、右ひざのお皿の部分が痛くなり、病院にいってレントゲンを撮ってもらいました。
昨年末に、歩道の突起物に両足が揃って、道路に転がった時にぶった膝のところに血液の塊ができていたとのことで、この血液の塊が、お皿の部分の神経に触るようです。

また、その後、3連休の最後の月曜日、9日の朝から調子が悪く、午後から 「昼寝をすると熱が出そう」 と思っている間もなく、一挙に38℃を超える高熱になり、、3日間も寝込むことで、今週の仕事は2日しかこなすことができませんでした。

命あってのものだねでしたが、体調が悪いので、病院に行って帰ってきたら、また、容態が急変して、また、病院に走る羽目になり、抗生物質のおかげで大事にいたらなくてすみました。

高齢者の人がよく、風邪を引いて亡くなられるニュースを聴きますが、容態の急変に体がついて行かなくなる年齢に突入したことを改めて感じました。

いつの間にか、体が、昔流行った、トリスウィスキーのCMの言葉でありませんが、
「飛べると思った水たまりが飛べなくなっている 」ことを気づかされた週でした。

健康であることが、すべの始まりです。
養生は貯金できないので、本当に留意して行こう。

久しぶりのピアノコンサート2012/01/22 20:35

先週、1月15日のことですが、
久しぶりのピアノコンサートに行ってきました。

上原彩子さんの、ピアノ・リサイタルで、このチケットは、昨年の9月11日にネットで予約入手したものです。

上原さんは、2002年6月第12回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、女性として、日本人として第1位を獲得した人です。

チャイコの第1位のあと、NHK等テレビ出演し、多くのマスコミに取り上げられて、その番組を見るにつけて、すごい人だと思っていました。

その後、抜群のテクニックと、知名度の高さから、コンサートの券がとても高くて、実際コンサート会場に行く機会を失っていました。

また、ピアノ調律師の人と結婚され、しばらく演奏活動を中止していたので、すっかりご無沙汰でした。

ひょんなことで、また、上原さんが復帰した情報を聞き、なんとかコンサートのチケットを入手できないかネットで探していたら、偶然、B席を確保することができました。

かみさんと二人で、わくわくしながら、サントリーホールに行きました。
当日のプログラムは、
ベートーベンの「悲愴」、リストの「詩的で宗教的な調べ」より第3曲、
同じくリストのリゴレット・パラフレーズ
休憩をはさんでは、ラフマニノフの練習曲「音の絵」op.39全曲でした。

立ち上がりの、「悲愴」は、演奏が固く、やはり結婚のブランクがあったのかと思うほど、曲が歌わず、体もいまひとつのりきれない感じでした。

しかし、2曲目から、音のバラエティの豊富さ、緩急いずれも歌いこむ力、透き通るような音色、抜群のテクニックと音量で、すっかり、上原ワールドに引きづり込まれました。

テレビ放映で拝見した時は、まだ、テクニックが強調され、演奏が固かったのですが、結婚され、妻になり、母となって、演奏に、音楽の理解が深まったのか、円熟みをましたリサイタルでした。

子供を二人持たれても、さらに、このような演奏ができ、体全体から、幸せを発するオーラに出合って、独身の女性の良く見受けられるヒステリックな演奏と違い、女性演奏家は、妻になり母になって、多くの人生経験を積んでからが、演奏活動の始まりだと感じました。

もっと有名になられて、手の届かないチケット金額になってしまいますのは困りますが、これからどのように成長されるか、楽しみです。

旅の印象を2012/01/29 12:14

久しぶりに、徒然に切り絵をしてみました。

昨年、旅行に行った先の印象が良かったので、その印象を切り絵に表現してみました。

海と海に囲まれた町並み、城壁に触れ、その感動を大海原に出帆する船に寄せて、再生、出立、開拓の気持ちを表現しました。

物事を完成させる運、体験の積み重ね2012/01/29 12:37

映画やテレビのドラマを作っている人たちも、作品ができた時の喜びをよく、メディアで話したり、記事にしたりしていることを見かけます。

建築を作るものにとっても、建物が完成して竣工を迎えるときが一番うれしいものです。

一つの作品に打ち込んで、それが仕上がった時の感動は、その完成へのプロセスは往々にして大変苦しいものですが、
その苦しさゆえに、、生みの苦しみを乗り越えた後の、完成の感動を味わえることは、それだけに、うれしいものであります。
完成の喜びは、ジャンルを問わず、物作りに関与するものすべての人の生き甲斐でもあるでしょう。

昨年末の完成した建物の竣工打ち上げ会に出席した時、その仕事を担当された他社の年長者のあいさつで、竣工の喜びを語られたあとで、思いもよらなかった言葉が発せられ深く感銘を受けました。

その人が話すには、
建築のように一つのプロジェクトが完成するまでに何年もかかる業務には、携わる関係者は大変多いのでありますが、最後まで、その完成に携わることのできる人は限りがあり、途中で抜けて行く人も多いし、また、途中で参加して、途中で去っていく人もあるし、
途中から参加して、竣工の栄誉に饗される人もいる。

しかし、竣工を迎えられ、その完成の席にいること、喜びを共有できる人と言うものは、そのプロジェクトに長く関わろうが、たまたま、応援でひと月程度参加した人でも、その人の持っている、運が良いことであり、名誉であると話されました。

竣工の誉れの場にいたことは、プロジェクトの成功体験をし、完成を見届けたことであり、成功体験の積み重ねが、その人を一段と大きくさせます。
また、成功体験がある人ほど、運が良いことで、仕事のめぐりあわせが良く、その人がいることで、次のプロジェクトの成功を約束されていると話されました。

批判ばかりして、物を作らない、作れない者より、
プロジェクトが中断して日の目を見ない者より、
運を引き寄せて、駄作でも良いので、
途中でやめることなく、物を最後まで完成させるという体験が重要だと感じました。

いままで、このような考え方で物を見てこなかったので、
運と成功体験の積み重ねが重要ということが、改めて認識いたしました。